平成22年の年賀状「明治の日本、戦後高度成長の日本」・「場所と私、人生の時の流れ、思いがけない喜び」・「紅茶と結石と年賀状」
Japan In-depth / 2023年8月16日 23時0分
もちろん、聴いていて気になったところがあれば、灯りを点けて枕元の文庫本を開く。
小説の朗読というのは、本当に良いものだ。知らない間に眠りに落ちている。
『心』だけではない。たとえば荷風の『濹東綺譚』の朗読を神山繁のCDで何十回聴いたことか。これも途中で眠りに入ってしまうのが常だった。CDだから寝ている間に終わっている。谷崎潤一郎の『幇間』もお気に入りだった。
芥川の『或阿呆の一生』も同じことだ。『大道寺信輔の半生』も聴く。最近発見した『芥川龍之介小品集』に出てくる『大川の水』も良い。この二作品、隅田川についての二つの作品の間の22歳と32歳の違いが、芥川の心の変化を表していて、なんとも切ない気分にならずにはいられない。若くして亡くなった芥川ではあるが、大川を懐かしい、月に2,3度は訪れずにはいられないと22歳のときには書いていた。その同じ人が、32歳のときには暗く、薄汚く、どぶ臭い川だったと書くことになる。最後、35歳のときには、「向島の桜は私の目にはぼろのようだった」と言わずにおれなくなってしまう。(『或阿呆の一生』』)
もちろん谷崎の『細雪』も、私が寝入った後にも朗読を続けてくれる常連の一人だ。『細雪』を聞くたびに思う、いったいこの小説で谷崎はなにを描きたかったのか、と。なんど聴いても、その複雑さ、奥行きの深さに幻惑されてしまう。
ヘミングウェイの“Moveable Feast”も子守唄である。殊にScott Fitzegeraldについて書いた“A Matter of measurement”ではいつも笑ってしまう。
日曜日には定例の散歩をする。もう何年になるか。そのときには、最近はやりの、白いうどんの切れっ端しのようなイヤフォンを左右の耳に付けて、まるで若者のように、スタスタと急ぎ足で歩く。前を歩いている若い人と足の動きがどのくらい違うのか。遅くて当然なのでしょうが、気にならずにはいない。
ふと気づく。
江藤淳も芥川も『心』の先生も、みな自殺している。それぞれに理由のあってのことだろうが、私にはよくわからない。そのなかでは江藤淳が一番わかりやすい。
「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 平成十一年七月二十一日」
江藤淳66歳。処決は『心』の先生の言葉である。私は翌日の朝日新聞の夕刊に出た遺書の写真を、彼が39歳のときに出した『夜の紅茶』(北洋社)という本に挟んでいる。私が22歳のときに求めた本である。池袋の芳林堂だったのは、当時、豊島区の要町に住んでいたからである。
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