8月15日に戦争は終わらなかった 日本と世界の夏休み その5
Japan In-depth / 2023年8月20日 19時26分
簡単に経緯のみ振り返ると、1945年5月2日にナチス・ドイツが無条件降伏した。
その後、占領下に置かれたベルリン郊外のツーツィリンエンホーフ宮殿において、米国のトルーマン大統領、英国のチャーチル首相、そしてソ連邦のスターリン書記長による会談が行われ、戦争の最終的な収束=日本に対する降伏勧告について討議が行われた。宮殿の所在地である町名から「ポツダム会談」と呼ばれる。
この討議で一致を見た内容が、全13箇条(軍国主義の排除、基本的人権の確立など)にまとめられ、トルーマン大統領、チャーチル首相、そして中華民国の蒋介石総統が署名し、公表された。これこそが、
「Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender 日本に対する降伏勧告の最終宣言」
である。俗にポツダム宣言と呼ばれる理由について、再度の説明は不要だろう。
スターリン書記長はこの時点では署名していないが、事後報告を受けて追認した。
そうなった理由については諸説あるのだが、有力なのは、この時点で米英とソ連邦は、互いに相手を「自分たちとは相容れないイデオロギーに凝り固まっている」と見なすようになっており、戦後半世紀にわたって続く冷戦構造の萌芽がすでにあった、との見方で、私もおそらくこれが正解だろうと考えている。
いずれにせよこの宣言が発せられると同時に、時の日本政府(鈴木貫太郎内閣)は対応を協議したが、受諾やむなし、とする外務官僚と、断固拒否すべし、とする陸海軍との間で折り合いがつかず、公式には「ノーコメント」とした。ところがこれを、当時の新聞は「政府の方針は〈黙殺〉」であると書き立て、さらには宣言を「笑止」とまで酷評した。
これが外電として連合国側に伝わった結果、日本は徹底抗戦する構えだと受け取られたのである。黙殺の一般的な英訳はignore(無視)だが、ロイター通信社はreject(拒絶)と報じた。まあ、ほとんど同義語なので「悪意の誤訳」ではないと思うが。
日本としては「国体の護持」すなわち天皇による統治を廃さない、との保証が得られない限り受諾はできない、という点に固執したのだが、最終的には昭和天皇の、自分はどうなってもよいから、という「聖断」により、終戦と決まった。8月10日未明のことである。
連合国に対しては、まずラジオ放送、次いで中立国スイスとスウェーデンの公使館を通じて文書で「受諾の意思」が伝えられた。ただ、前線に展開していた日本軍の部隊や一般市民には伏せられており、15日になってようやく玉音放送が行われたのは、前述の通りだ。
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