1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

地震より怖いものがある 日本と世界の夏休み 最終回     

Japan In-depth / 2023年9月1日 11時0分

地震より怖いものがある 日本と世界の夏休み 最終回     


林信吾(作家・ジャーナリスト)


林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】


・9月1日は「防災の日」。関東大震災から100年目。


・問題は、震災後に流布された数々のデマとそれを原因とする事件。


・震災への備えと同時に、ネットのフェイク情報も抑止策を。


 


 9月1日は、関東大震災からちょうど100年目に当たる、節目の「防災の日」だ。


 1923(大正12)年のこの日、午前11時58分と記録されているが、相模湾北西部を震源とするM(マグニチュード)7.9の巨大地震が発生した。


 未だ記憶に新しい東日本大震災(2011年3月11日午後2時46分)はM9で遙かに大規模だが、人的被害は関東大震災の方がずっと多く、近代日本が地震によって受けた被害としては最大のものとされている。


 犠牲者(=死者・行方不明者)の数については長きにわたって、具体的には2004年頃まで「約14万人」とされていたが、その後の研究により、多くの地域でダブって報告・記録された可能性が指摘され、今では「約10万5000人」が定説となっている。


 当時の東京・横浜は木造家屋が密集した街であり、なおかつ正午前とあって多くの家庭が食事の支度のため火を用いていた。季節的に、台風が接近していた影響で強い南風が吹いていたことも記録されている。


 こうした悪条件が重なった結果、建物の倒壊による圧死より、至る所で発生した火災による犠牲者が大半を占めたのだった。


 1995年1月17日に起きた、阪神淡路大震災は対照的に、早朝(午前5時46分)であったことから、多くの人が就寝中であり、6434人の死者の大半は、倒壊した家屋の下敷きになっての圧死であった。


 ある年代以上の読者諸賢は、高速道路や鉄道の高架駅が倒壊した、ショッキングな映像をご記憶ではないだろうか。地震発生が通勤ラッシュの時間帯であったなら、まず間違いなく、犠牲者が一桁増えていたであろうと当時から言われていた。


 そして東日本大震災では、直後に発生した津波による犠牲者が大部分を占める。


 関東大震災の際も沿岸部では津波の被害が生じた。鎌倉市の由比ガ浜海岸では300人以上が巻き込まれ、100年経った今も行方不明のままという人が多いと聞く。ただ、火災による被害があまりにも甚大であったために、いささか後景化してしまった感がある。


 その後は、日本人らしく(?)迅速な復興に取り組んだのだが、多くの人命が失われた事への反省が、どこまで反映されていたものか。


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください