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安倍派の危機から考える 創設者・福田赳夫元首相の政治理念

Japan In-depth / 2023年12月29日 23時0分

安倍派の危機から考える 創設者・福田赳夫元首相の政治理念




佐々木倫子(文筆家/金融アナリスト)





「佐々木倫子の世の中診断 ~人新生を生き抜くヒント~」





【まとめ】





・安倍派の基盤作った福田赳夫元首相は在任2年間ながら物価安定、経済立て直し。





・首相退任後も独シュミット元首相と人口問題、環境問題などで提言。





・福田親子が築いた東南アジアや中国との外交を活かし、米依存姿勢を脱することが重要。





 





自民党の派閥の政治資金パーティーにまつわる問題で、自民党最大派閥の安倍派(清和政策研究会、以下、清和会)が岐路に立っている。





清和会は安倍晋三元首相の祖父である岸信介元首相が率いた派閥・岸派の系譜を受け継ぐ。福田赳夫元首相は、当時の池田勇人首相の高度経済成長政策に異議を唱え、1962(昭和37)年に岸派を基盤として立ち上げた「党風刷新懇話会」が起源だ。その後、首相退任後の1979(昭和54)年に、「政清人和(まつりごと清ければ人おのずから和す)」、清廉な政治は人民を穏やかにするという意味を込め「清和会」と名付け、初代会長に就任した。





1998(平成10)年、森喜朗氏が会長となり「清和政策研究会」と名前を変え、2000年以降、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫の4人の首相を輩出。現在は、自民党所属の全国会議員の約4分の1にあたる99人が所属し、安倍晋三元首相が2度目の首相退任後に10代会長に就任したが死去から1年半ほど経った今でも後任が決まらず、いまだに「安倍派」と呼ばれる。





福田赳夫元首相は、群馬県の金古町長を務める父の次男として1905(明治38)年1月14日に高崎市足門町で生まれた。高崎中学、第一高等学校と進み、1929(昭和4)年に東京帝国大学法学部卒業し大蔵省に入省。在学中に現在の国家公務員総合職試験に当たる、高等文官試験行政科に合格しているエリート中のエリートだ。しかし、次官目前の大蔵省主計局長時代、昭和電工事件への関与で逮捕されるなど波乱万丈の人生だった。この事件では無罪だったが、衆議院議員選挙出馬を決意し大蔵省を退職。





1952(昭和27)年に行われた衆議院議員選挙の群馬3区で当選以来、連続14期衆議院議員を務めた。農林大臣、大蔵大臣、外務大臣、行政管理庁長官、そして副総理として活躍し、1976(昭和51)年12月に自民党総裁となり、第67代内閣総理大臣に就任した。その後、1983(昭和58)年には各国の首脳経験者による「OBサミット」を立ち上げ、1990(平成2)年の総選挙を機に政界を引退。長男の康夫氏が後継者となり、1995(平成7)年に90歳で亡くなられるまでOBサミットの活動に精力的に取り組んだ。





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