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冬休みのオススメ本(上)年末年始に備えて その6

Japan In-depth / 2023年12月30日 11時30分

話を『サピエンス全史』に戻して、この本の中では「認知革命」という考え方が提唱されている。現生人類=ホモ・サピエンスは、自分たちの脳内で産み出した理念――それは「神」であったり「祖国」であったりするわけだが、それを共通の利害として認知することができたために、圧倒的に多数の集団を形成し、他の非サピエンスのヒト科生物(ネアンデルタール人など)との生存競争に勝ち残り、地球の支配者になり得たのだという。





「もしネアンデルタール人やデニソワ人が、ホモ・サピエンスと共に生き延びていたら、どうなっていただろう?」「たとえば、信仰はどのように発展したか?『旧約聖書』の創世記は、ネアンデルタール人をアダムとイヴの子孫であるとし、イエスはデニソワ人の罪を購うために死に、クアラーン(コーラン)は善きヒトなら種を問わずに誰のためにも天国に場所を確保しただろうか?」





「アメリカの独立宣言は、ホモ属の構成員はすべて平等に造られていることを自明の真理としたであろうか?カール・マルクスは、あらゆる人類種の労働者に結束を促したであろうか?」第一章の冒頭近くから、これである。読みながら、すごい、とつぶやいてしまった。





かくも壮大な文明論を読んだ後では、日本人とユダヤ人の祖先が同一か否か、神道と聖書の共通項は……など、なんたる矮小かつおバカな議論かと思える。岸田首相に、読み比べた感想を伺いたいものだが、まず確実に「今それどころではない!」となるだろう。笑





サピエンスの「未来予想図」も描かれているが、高度に発達した遺伝子工学を駆使して、たとえば進化のメカニズムを知るために、クローン生命体としてのネアンデルタール人を産み出すことは、十分可能性があると書かれている。この点は私も同意見なのだが、果たして「ヒト族の実験動物」などというものが許されるのか、という議論に踏み込むや、著者の明晰さに曇りが生じたと言うか、急に歯切れが悪くなったようにも思える。





私などは、倫理的な葛藤は最後まで残るにせよ、結局は知的好奇心が勝るのではないか、と前々から考えている。このあたりはまあ、知的な領域で同じ土俵に立っているかのような物言いをしては失礼であるが、やはり『聖書』を読んで育ったか否かの差なのかも知れない。





人間が神になってよいのか、という疑問は、ユダヤ教・キリスト教・イスラムに帰依した「経典の民」にとって、簡単なものではない。しかし、あまり拘泥するようでは、「神が人間を造ったのではなく、人間が紙を発明したのだ」という、近代科学の原則と矛盾するのではないか。





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