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賃金・物価の好循環―その実現には生産性の改善が必要―

Japan In-depth / 2024年1月20日 14時10分

それでも、生産しても需要のない成果しか生まない場合は、いくら効率的に生産活動を行ったとしても、結果的に生産性は改善したことにはならない。モノの生産について例えれば、今日、いくら白熱電球や白黒テレビの生産効率をあげても、それでは日本経済の生産性向上には繋がらない。





そうなると、働く人がみな全く同じ仕事をし続けて、その中でより効率が良くなるだけでは、日本経済全体としての生産性はあがらないことになる。生産性の持続的な改善は、働く人の仕事の分野がより需要の強い分野へと移っていく中で実現されるのである。





■ミクロとマクロ





ところで、経済学ではしばしばミクロとマクロという対比が使われる。ミクロとは個々の事情をみることであり、マクロとは経済全体あるいは平均でみることだ。生産性の改善も、そもそもミクロの現場でそれが起こっていないと、いくら足し上げてマクロの数字にしても、やはり改善していないことになるが、既存の統計で生産性を把握しようとすると、最初からマクロの統計に頼ることがどうしても多くなる。





そのマクロのデータは、労働時間の変化も含めて生産性を考えていることになるし、年齢や雇用形態の変化も包含して生産性をみていることになる。最終的には、個人個人の国民の生活が、その個別の事情の中でより良くなっていくことが求められているので、経済や社会の構造がかなり速いスピードで変化している時には、マクロの統計だけで判断していると、実態を見誤る可能性がある。





この30年間、労働時間は傾向的に減少してきた。働く人に占める高齢者の割合は増加してきた。また、非正規雇用というかたちで働く人の比率も増えてきた。マクロ統計には、そうした様々な変化の結果が全て反映されているので、同じ仕事をしている人の生産効率がどう変化したかは、マクロの統計だけでは良く分からない。





以上のように、働く分野も変わっているし、働く人の働き方も変わってきた。そうした中で、生産性を評価するのは非常に難しく、したがって丁寧な分析が必要だ。表層的な比較によって過度に悲観的な見方をすることは、ミクロの現場での生産性改善の努力のフェアな評価にはならない。





■生産性の国際比較





例えば生産性の国際比較だ。最近、日本の生産性の改善が他の先進国に比べて低調だという議論があちこちで聞かれるが、それは、マクロの統計を、為替レートによって換算した結果を評価してのものだ。為替レートは、日々、金融市場で決まるものであり、必ずしも生産性の比較にはフィットしない。そもそも生産性は、為替レートのように日々上下することはあまりないはずだ。





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