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なぜ逃げ切りを許したのか(中)失敗から学ぶことは多い その2

Japan In-depth / 2024年2月9日 17時0分

なぜ逃げ切りを許したのか(中)失敗から学ぶことは多い その2




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・桐島聡容疑者は、神奈川県藤沢市にある建設会社に住み込みで働いていた。





・建設会社はまずドヤ街で人手を集め、真面目だと見込むと、「専属で働かないか」と持ちかけるのだという。





・そもそも、何年も何十年も消息が分からない人は、一般に考えられているよりもかなり多い。





 





1974年から75年にかけて、連続企業爆破事件を引き起こした、東アジア反日武装戦線の一員であった桐島聡容疑者は、全国指名手配されていながら、半世紀近くも潜伏生活を続けていた。





前回述べたように、末期ガンで入院し、最期の時を迎える間際に本名を名乗ったのだが、捜査員の一部からは、





「ある意味、逃げ切ったという勝利宣言だったのではないか」





といった声が漏れ伝わってくる。





これまた前回お伝えしたように、共犯者とされた東アジア反日武装戦線の一部メンバーは、日本赤軍が引き起こしたハイジャック事件の結果、超法規的措置でもって解放され、海外に逃亡している。





このため桐島聡容疑者についても、そうしたツテで海外に逃亡したか、あるいはすでに他界してしまったのでは、という見方をする人が多かったようだ。





ところが本人いわく、主たる犯行現場であった都心からそう遠くない、神奈川県藤沢市にある建設会社に住み込みで働いていた。住居も二階建て戸建ての一室で6畳ほど。家賃についてはメディアによって、3万円ほどであるとも、会社の所有物件なので家賃は発生していないとも伝えられている。風呂はなく、銭湯通いだったそうだ。銭湯にも手配写真が張り出されていたはずで、どんな気持ちで眺めていたのか、などとつい考えてしまうのは、物書きの悪癖であろうか。





給与は日当1万円の日給月給で、現金手渡しであったらしい。死亡時240万円ほどの貯金もあったと伝えられているので(どうやって口座を作ったのだろう?)、語弊を怖れずに言うならば、偽名で潜伏する身にしては、まずまずの暮らし向きではなかったか。





いずれにしてもこの建設会社は、30年以上にわたって源泉徴収も社会保険料の納付もしていなかった可能性が高いので、近いうちに当局から、それなりのお咎めがありそうだ。





これで思い出されるのは、2007年に英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)を殺害した容疑で指名手配された、市橋達也受刑者のことである。





同年3月25日頃、千葉県市川市内の自宅マンションで、くだんの英国人女性に性的暴行を加えた上、殺害し、取り外し式のバスタブに遺体を隠し、ベランダに置いていた。





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