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なぜ逃げ切りを許したのか(下)失敗から学ぶことは多い その3

Japan In-depth / 2024年2月13日 17時0分

なぜ逃げ切りを許したのか(下)失敗から学ぶことは多い その3




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・桐島聡容疑者は用心深さとは対極で、むしろ野放図な「潜伏」ぶりであった。





・手配犯が地域に溶け込んでいるなら、地域に密着した警察活動が王道。





・治安維持を警察に「丸投げ」するのではなく、犯罪は皆の手で防ぐのが正しい市民社会の在り方。





 





冒頭で述べたとおり、桐島聡容疑者の身柄が確保されたとの速報に接した際、私がまず思ったのは、今度は彼か、ということであった。





1971年11月14日に起きた、世に言う渋谷暴動事件で指名手配され、以降46年間にわたって逃亡生活を続けていた、中核派の大坂正明被告(現在公判中)が、2017年に逮捕されたことを思い出したのだ。





71年当時、沖縄返還問題を巡る反政府闘争が高まりを見せており、その過程で革命的共産主義者同盟全国委員会(=中核派)が東京・渋谷を媚態に暴動を引き起こした。米軍が駐留を続ける形での沖縄返還には反対であるというのが、その論理である。





事前に予告されているという、きわめて珍しい形の暴動で、警察側も厳重な警備体制を敷いていたが、中核派はサラリーマンになりすます「背広ゲリラ」戦術で警戒網をかいくぐった。女性の活動家も結構いたが、彼女たちはミニスカート姿で喫茶店に集結し、スカートの上からジーンズをはいて暴動に参加。逃げる際にはまたジーンズを脱ぎ捨てる、という戦術をとったらしい。





さらには(あくまでも伝聞であることを明記しておくが)、全逓労働者の活動家たちが、郵便車で武器を運んだという話もある。信書の秘密は憲法第21条で保障されており、警察としても、郵便袋の中身までは調べることができないのだ。





しかも、これまた警備陣の裏をかいて、夜になるのを待たず、午後3時頃、突如白ヘルメット姿になって、機動隊や渋谷駅周辺の派出所を火焔瓶などで襲撃した。





渋谷区神山町の派出所は、新潟県警から応援に来ていた機動隊員27名が守っていたが、中核派はおよそ150名の部隊で襲いかかり、機動隊を敗走させた。この際、ガス銃で味方の退却を援護しようとした、当時21才の巡査が逃げ遅れ、鉄パイプなどで乱打された上、





「殺せ、殺せ!」





という号令一下、数本の火炎瓶を投げつけられ、殉職した。逮捕者の供述から、この「殺せ、殺せ」と叫んだ人物は、現場で逮捕された者たちの供述から、千葉工業大学の中核派行動隊長であった大坂正明(当時22歳)であるとされ、全国重要指名手配犯の一人となった。





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