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なぜ逃げ切りを許したのか(下)失敗から学ぶことは多い その3

Japan In-depth / 2024年2月13日 17時0分

これ以降、2017年5月に広島市内で検挙されるまで、46年間も逃亡・潜伏生活を続けてもので、この時点では、最も長く逮捕を免れていた手配犯であった。後に桐島聡容疑者によってこの「記録」は塗り替えられることとなったが。





大坂の場合は、組織を挙げて匿っていたため、長期間の潜伏が可能になったとされる。もともと中核派の非公然活動家たちは、極端なまでに用心深い。桐島聡容疑者らに東アジア反日武装戦線が連続企業爆破事件を引き起こしたのは1974年から75年にかけてだが、同時期の中核派は、革マル派と血で血を洗う内ゲバを続けていた。当時の活動家たちは、「ハラ、キリ、ミリ、キャク」





という行動規範をたたき込まれていたと聞く。





ハラとは、メモ帳など大事な物は腹巻きに入れて文字通り肌身離さずにおくこと。実際にはウェストポーチなどであったらしいが。





キリとは「切り」で、電車のドアが閉まる直前に降りたり、地下街やデパートの雑踏を行ったり来たりして尾行を振り切ること。ショーウィンドーなどは鏡の代用になるので、振り返らずとも尾行者を発見できるそうだ。





ミリとは、留守中の部屋に侵入者がなかったかた、すぐに確かめられるように、ミリ単位で細工をしておくこと。





イアン・フレミングの『ロシアから愛を込めて』という小説の中に、英国の秘密情報部員007ことジェームス・ボンドが、アタッシュケースの留め金にさりげなく糸くずを貼り付けておき、あけられて形跡がないことを確認する、という描写があるが、おそらく似たようなことだろう。





キャクは「却」で、連絡メモなどは水溶紙に書き、すぐに破却できるようにしておくこと。





再び桐島聡容疑者に話を戻すと、彼はこうした用心深さとは対極と言うか、むしろ野放図な「潜伏」ぶりであった。しかし、これがむしろ功を奏したのではないかという声が、公安関係者の間から聞かれる。





彼はすでに述べた通り、建設会社に住み込みで働き、地元の飲食店にも出入りしていた。部屋の窓を閉め切って、どのような仕事をしているのか分からない人(私の生活もこれに近いが笑)よりも、





「自分から多くを語る人手はなかったが、ことさら周囲との間に壁を作るという風でもなかった」(桐島容疑者についての、近隣住民の証言)





といった人の方が、疑惑の目で見られるリスクは小さいということのようだ。





手配写真がそこいら中に張り出されていたことも、ご案内の通りだが、私はかねてから、ああした張り紙の効果については「疑問視していた。





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