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地下鉄サリン事件を風化させるな

Japan In-depth / 2024年3月21日 0時18分

ぐったりしている人々は次々と救急車に運び込まれていく。その時は、サリンが撒かれたなどという情報はなかった。駅構内に入ったカメラマンや、サリンガスに暴露した人を取材した記者が残留ガスを吸い込んだのか、後で「縮瞳(瞳孔が過度に縮小し、眼前が暗くなる現象)」したケースもあったが、そんなことは知るよしもない。









▲写真 地下鉄サリン事件(1995年3月20日)出典:Yamaguchi Haruyoshi/Sygma via Getty Images





私は政経部所属だった。本来は社会部記者が現場にいなければいけないのだが、デスクは「現場にいろ」と私に指示した。その時、事件現場にいた記者は私だけだったからだろう。社会部の記者はおそらくみな通勤途上だったに違いない。





とにかく私は様々な人にインタビューし、現場の状況を無我夢中でしゃべり続けた。収録した映像とリポートはすぐに河田町のフジテレビにバイクで運ばれた。現場の様子を撮った衝撃的な記者リポートは午前中の報道特番で流され続けた。





撒かれた液体がサリンだとわかったのは午前11時頃。警視庁が記者会見で発表したのだ。“縮瞳”という症状が出ることがわかったのもそのあとだ。





事件発生後しばらくしてから一人の若い女性が私に近寄ってきてこう告げた。「あの車両に乗ってたんですけど、なんともなかったので普通に出勤したんです。でも職場でだんだん視界が暗くなってきて・・・テレビで毒ガスが撒かれたと聞いて怖くなって戻って来ました」そう私に告げた。





私は、撒かれたガスがサリンだとの発表を聞き、偶然すぐ近くにクリニックを開業している友人の医師に電話して、縮瞳に効く薬はアトロピンやPAMという薬だと聞いていた。





私は彼女に、現場に残っている救急隊のところに行ってすぐに病院で治療を受けるように言った。あの女性はその後どうなっただろうか。今でも気にかけている。





社会部の記者が一度、神谷町駅の現場に立ち寄ったが、結局、私が取材を続けることになり、午後1時過ぎまで現場にとどまった。





その後、オウム真理教上九一色村のオウム関連施設への強制捜査、逮捕という流れになるのだが、あの日、あの時目にしたものは、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図だった。決して忘れることは出来ない。





史上最悪の毒ガスを使った無差別テロ事件。2018年7月に教祖麻原彰晃と側近、計13人の死刑が執行された。オウム真理教は「Aleph(アレフ)」と名前を変え、存続している。他にも関連団体は複数ある。





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