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政治評論家の屋山太郎氏を悼む

Japan In-depth / 2024年4月25日 18時33分

屋山さんは私個人にとって、言論の世界でのかけがえのない師だった。1970年代から彼は時事通信の現役政治記者をしながら、総合雑誌などに、すぐれた分析や鋭い主張を基盤とする長文の論文を頻繁に発表していた。模範としたくなる言論活動だった。彼の日本政治への思考の基盤には豊かな国際性の裏打ちがあった。イタリアとスイスでそれぞれ数年、駐在特派員を務め、欧州の政治を現地で考察した体験の集大成だったといえよう。





いまもよく覚えているが、1982年、屋山さんは当時、毎日新聞の記者だった私に声をかけてくれた。私がベトナムとアメリカと、ほぼ10年にわたる特派員生活を終えて東京に戻った時期だった。





東京では毎日新聞の政治部記者となり、内政にも真剣な関心を向け始めたときに屋山さんとの知己を得ることは貴重だった。





初めての会合では話しがはずみ、4時間以上があっというまに流れたこともよく覚えている。もっぱら私が聞き役だったが、日本のジャーナリズムの世界にもこんな記者がいるのかと、驚嘆し賞賛を感じたことも忘れられない。それ以後の40年余り、おつきあいをさせていただき、いつも多くを学ばせていただいた。彼がここ数年は重病と戦いながらも、言論活動を続けていたことも驚きだった。とくに長年の盟友の田久保忠衛氏を悼む一文を屋山さんは文字どおりの病床でみずからペンを執り、書いた。胸に響く内容の弔文だった。屋山さんご自身、そのまさに直後に旅立たれたのである。





人間としての屋山さんは名誉欲とか、私利私欲とはおよそ縁の遠くみえる人物だった。竹を割ったような剛直、剛毅の言論人だった。そして独特のユーモアのセンスがあった。まじめきわまる話題の最中に、なんともおかしいエピソードやジョーク、比喩を口にして、爆笑させられることがよくあった。





なお言論人としての屋山さんが行政改革、選挙制度改革、官僚制度の刷新、国鉄の民営化などに中枢の役割を果たしてきたことも、知る人ぞ、知るである。





偉大な言論人、そして日本を憂い、愛した屋山太郎さんのご冥福を祈りたい。





*この記事は日本戦略研究フォーラムのサイトに掲載された古森義久氏の寄稿論文の転載です。





トップ写真:木原稔首相補佐官(当時)に書簡を手渡す屋山太郎氏。2019年12月9日(筆者提供)




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