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宗教教育と言語について(下)イスラム圏の教育事情 その5

Japan In-depth / 2024年6月1日 23時0分

宗教教育と言語について(下)イスラム圏の教育事情 その5




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・キリスト生誕のパレスチナはローマ帝国の領域で、公用語はギリシャ語、ラテン語は上流階級のものだった。





・聖書はイエスの弟子たちが師の言動を書き記したもので、ラテン語をはじめ様々な言語に翻訳された。





・キリスト教は異教の祝祭なども取り入れ、世界最大の宗教となった。





 





キリスト教の『新訳聖書』(以下、聖書)はもともと、ギリシャ語で書かれたものである。





イエスが生まれた当時のパレスチナはローマ帝国の版図であり、ユダヤの民は被支配民族であった。しかしながら、事実上の公用語はギリシャ語だったのである。





事実上とは妙な表現だが、紀元前4世紀にマケドニア王国のアレクサンドロス3世(日本では一般に〈アレキサンダー大王〉として知られる)が、エジプト、ペルシャを征服し、インド亜大陸にまで遠征したという歴史があって、その版図ではギリシャ語が話されるようになっていたのが事実だ。





カエサルとクレオパトラのロマンスは有名だが、二人が何語で愛を囁きあった(単なる政略だろうが、とのツッコミはお断りします笑)のかと言えば、まず間違いなくギリシャ語であったと考えられる。





ただ、そのギリシャは紀元前3世紀にローマの版図に組み込まれたため、法律などはすべてラテン語で記された。実際にラテン語は「上位の公用語」と位置づけられていたらしい。





日常語としてのラテン語が定着していったのは、イタリア半島から遠征した軍団が都市を築いて直接的に支配した、地中海世界の西半分だ。現代イタリア語の他、フランス語やスペイン語などが、いずれラテン語から派生した「ロマンス諸語」に分類されていることはよく知られている。





ローマの版図はまた、現在のイングランド=ブリテン島南部にまで及んだが、ここでは日常語としてのラテン語は定着しなかったものの、地名にその跡をとどめている。





マンチェスター、ドーチェスターなどで、この「なんとかチェスター」という地名は、ローマ軍団の駐屯地が置かれた場所であったことを示している。





カストラルの訛りだと思われる、と記された資料もあるが、これとてラテン語の「城塞」あるいは「要塞化された小都市」のことで、キャッスルの語源であるから、どちらが正しいにせよ、意味的に大きな違いはない。





また、ローマの支配下にあっても、日常語としてのラテン語は定着しなかったと述べたが、それは庶民レベルの話で、貴族など上流階級は基礎的な教養としてラテン語を学ぶものとされ、この伝統は現在も継承されている。





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