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ヘイ、JUDO!今から次の五輪が楽しみ その2

Japan In-depth / 2024年8月9日 18時0分

と答えてくれた。





 世界最高峰の柔道家が、柔道はスポーツだと言うのだから、その通りなのだろう。





 前後して、『柔道部物語』(小林まこと・著 講談社)という漫画が全国の高校・大学の柔道部員たちの間でバイブルとされているという評判を聞き、一時帰国した際に単行本を買い揃えた。





読後感は、やはりこうなっていたか、というものであった。柔道はもはや日本武道ではなくJUDOというスポーツになり果てたのだな、と。





 漫画としてはとても面白いので、ご用とお急ぎでない向きにはご一読をオススメするが、号泣シーンこそないものの、負けて涙ぐむシーンは頻発するし、逆に勝てば躍り上がって喜ぶ。先にポイントを取ったならあとは時間稼ぎ、といった試合運びが当然視されているし、団体戦は先鋒に起用されることが多い主人公が首尾よく勝てば、あとの4人(次鋒、中堅、副将、大将)は引き分けでよい、ということが、これまた当然のように行われる。





 なり果てた、とはずいぶんな言い方ではないかと思われた読者もおられるかも知れないが、前回も述べた通り、私はアスリートではないが武道経験者なので、どうしてもその視点で見ることになってしまう。もちろん、その価値観を他人に押しつけるつもりはないが。





 話をパリ五輪に戻して、審判の判定が物議を醸す事案が相次いでいる。





とりわけ男子60㎏級の試合で、永山竜樹選手が、スペインのフランシスコ・ガリゴス選手と対戦した際、絞め技をかけられた。メキシコ人女性の審判が「待て」をかけたが、ガリゴス選手はその後数秒間、締めを続け、永山選手は落ちた(=失神した)と判断され、一本負けとなってしまった。





 当のガリゴス選手は試合後に、審判の「待て」の声が聞こえなかった、と語ったが、大観衆の前での試合のこととてこれはありそうな話だ。締められていた永山選手の方が、審判の「待て」が聞こえたので、力を抜いたと証言しているので、疑問は残るが。





それ以前に、試合を止めるなら選手の耳元で「待て」とはっきり聞こえるように言い、背中を叩いて合図すべきであろう。





 私は柔道の審判の経験はないが、少林寺拳法の審判資格は持っている。種目は違えど、危険を回避することが審判の最大の職責であることは教え込まれている。と言うより、これは常識ではないか。





 両選手はその後、ツーショットの写真をSNSに投稿し、





「われらは柔道ファミリー」





と、わだかまりがないことをアピールした。すると途端に賞賛の声が広まり、それまで「殺人未遂ではないか」などと書き立てていた日本の一部ネット民も、急に静かになった。これだから私は、ネット世論など信用する気になれないのだが、その話はさておき。





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