ペルー フジモリ大統領死去 その数奇な運命
Japan In-depth / 2024年9月15日 19時0分
その後膠着状態が続き、ペルー政府は郊外に公邸と同じ建物を作り、急襲作戦のシミュレーションを続けていた。そして、公邸に向けてトンネルを掘り、建物の地下から突入する計画を入念に準備、工事に着手した。
最初はそんな作戦、すぐテロリスト達に見破られるだろう、と思ったが、公邸を取り囲む車両から大音響の音楽を流したりして、トンネル工事の音を消すなどした。結局、6本のトンネルが掘られ、軍の特殊部隊約140人がその中に潜み、突入の機会をうかがった。テロリスト達も長期間にわたる占拠で気が緩んでいたのかもしれない。結局、気づかれることなく工事は進んだ。トンネルは公邸の真下にまで到達していた。
そして4月22日午後3時23分(日本時間23日午前5時23分)、特殊部隊は公邸の床下に仕掛けられたプラスチック爆弾を起爆、広い部屋でサッカーに興じていたMRTAのテロリストたちの大半は吹き飛ばされ、即時無力化された。そして、一斉に特殊部隊の兵士らがトンネルから突入した。
その様子を近隣ビルの屋上からカメラで中継しつつ見ていた私は、激しい銃撃の音から、相当数の犠牲者が双方に出ているはず、と思った。しかし実際は、人質72人のうち、亡くなったのはペルー最高裁判事1人だけ。日本人24人を含む残る71人は、事件発生127日目に無事救出されるという奇跡的な結果に終わった。
一方、特殊部隊の隊員2人は死亡し、犯人グループは14人全員が死亡した。最初の爆破で生き残ったものもいたが、その場で処刑された。幹部の1人はトンネルを使って逃げようとしたところを捉えられ、射殺された。降伏した者を処刑するのは国際法違反のはずだが、現場にいた特殊部隊兵士の一人は、「全員射殺せよ」と命令を受けていたと私に話した。
フジモリ大統領がなぜ左翼テロリストに強硬だったのか。それはペルーのテロの歴史をひもとかねばならない。
■ ペルー、左翼テロの歴史
ペルーでは、1960年代から左翼テロが本格化した。MRTAともう一つのテロ組織、「センデロ・ルミノソ」が政府と激しく対立、市民はテロの恐怖と隣り合わせの生活を強いられてきた。
公邸占拠事件が起きて初めてリマを訪れた時、まず目についたのが、リマの住宅の家の窓という窓に牢獄のように頑丈な鉄格子がはまっていたことだ。普通の民家である。これは一体どういうことなのか?と率直に思った。しかし、しばらくペルーに住んでみると、市民にとってテロがそれほど身近な存在だったということがわかった。
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