ペルー フジモリ大統領死去 その数奇な運命
Japan In-depth / 2024年9月15日 19時0分
その後、フジモリ氏は、2005年10月に、2006年の大統領選挙に出馬するために日本を離れチリに向かったが、出馬はかなわなかった。そのままチリに留まり続けたが、2007年9月、チリ最高裁がペルー政府の身柄引き渡し要請を認めたことでチリを離れ、ペルーの首都リマへ到着、国家警察の施設へ収容された。
そしてとうとう、2009年4月、ペルー最高裁判所特別刑事法廷は、フジモリ元大統領に25年の禁固刑を言い渡した。
▲写真 バルバディージョ刑務所の外で、アルベルト・フジモリ前大統領の釈放を要求しデモを行う支持者ら(2023年12月6日ペルー・リマ)出典:Getty Images/Getty Images
その後、収監、体調不良による入院、恩赦、再収監(2018年)を繰り返し、2023年12月5日、憲法裁が即時釈放を命じたため、6日に釈放され、約5年ぶりに自由の身となったが、すでにその身体は病にむしばまれていた。
2024年9月11日、娘のケイコ・フジモリはX(@KeikoFujimori)で、「私たちの父、アルベルト・フジモリは癌との長い闘病の末、主に会うために旅立ったところです。父を愛してくださった方々には、彼の魂の永遠の安らぎを祈ってご一緒にいただけますようお願いいたします。お父さん、本当にありがとう!ケイコ、ヒロ、サチエ、そしてケンジ」と記し、アルベルト・フジモリが死去したことを発表した。享年86歳。
▲写真 カンポ・フェ・デ・ワチパ墓地で行われたフジモリ大統領の埋葬式(2024年9月14日ペルー・リマ)出典:Ronaldo Bringas/Getty Images
晩年ほとんどを刑務所で過ごしたフジモリ氏。旅立つ前、彼は何を思っただろうか。できることなら最後にもう一度、話を聞いてみたかった。
トップ写真:国立博物館で行われたペルーの元大統領アルベルト・フジモリ氏の追悼集会で棺の隣に立つ、娘のケイコ・フジモリとサチ・フジモリ(2024年9月13日ペルー・リマ)出典: Raul Sifuentes/Getty Images
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