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信頼欠く自民党か、頼りない野党かー総選挙、究極の選択

Japan In-depth / 2024年10月19日 17時0分

自民党に代わって登場したのが民主党の鳩山由紀夫政権。





総選挙で一気に約200増の308議席という信じがたい大勝だった。当初、国民の人気は上々だったが、沖縄・普天間飛行場の代替え問題などで迷走、党全体が内政、外交で経験、準備不足をさらけだし国政を混乱させた。





鳩山氏のあと、菅直人(今回の解散を機に引退)、野田佳彦氏が1年ごとに首相を交代、有権者の心は離れ2012年秋の総選挙で大敗した。





この時、自民が政権に復帰、安倍晋三氏が首相に返り咲いた経過はなお記憶に新しい。





■ ロッキード事件で自民は2度敗北





古いところで思い出すのは、1976(昭和61)年12月、三木内閣時代のロッキード選挙だ。





この年2月、米の航空機メーカー、ロッキード社が日本を含む各国で多額の賄賂をバラまいた疑惑が発覚、日本では前首相、田中角栄氏が東京地検に逮捕・起訴された。





当時の首相、三木武夫氏は、政敵・田中氏の追い落としの意図もあって、事件解明に異常な熱意をせたことから、「惻隠の情がない」(当時の椎名悦三郎自民党副総裁)などと党内から不満が噴出、〝三木おろし〟に発展した。





反主流派によって解散権を封じられた首相は、任期満了選挙を戦うが、反三木派は「挙党体制確立協議会(挙党協)」というグループを発足させ、分裂選挙となった。





自民は16議席を失う敗北。三木氏は退陣に追い込まれ、挙党協のリーダー各だった福田赳夫氏(福田康夫氏の父)に総理・総裁の座を譲った。





投票日直前、〝和解〟を演出しようと、福田氏が都心の選挙カーで「三木総裁をご紹介します」とマイクを渡しところ、首相が「福田君に紹介されるまでもなく・・」といやみたっぷりに切り返し、周囲を凍りつかせたエピソードが伝わっている。





そのロッキード事件で起訴された角栄氏は1983(昭和58)年10月、一審で懲役4年の実刑判決を受けた。





その2か月後に、中曽根康弘首相の下で行われた総選挙は、自民党が一挙に30議席以上を減らし、当時の新自由クラブとの連立を組まざるをえなくなった。





角栄自身は22万票、2位に17万票以上の大差という空前の得票を誇ったが、政権運営で田中派に多くを頼った中曽根氏への有権者の批判が集まったのは明らかだった。





1989(平成元)年7月の参院選も語り草だ。





宇野宗佑首相は、リクルート事件の引責で退陣した竹下登首相の後を襲って就任したばかり。その宇野氏自身の女性スキャンダルが選挙前に明るみに出た。





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