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【エンタがビタミン♪】<二階堂ふみロングインタビュー>70年前の女性役を体当りで。“孤独と戦い続けた撮影現場”を振り返る。

TechinsightJapan / 2015年8月3日 21時55分

【エンタがビタミン♪】<二階堂ふみロングインタビュー>70年前の女性役を体当りで。“孤独と戦い続けた撮影現場”を振り返る。

今年日本は戦後70年を迎える。戦争体験者が年々減っていく昨今、沖縄出身で若干20歳の二階堂ふみが芥川賞作家・高井有一の同名小説『この国の空』にて、終戦間近「結婚もできないまま、死んでいくのだろうか」という不安を抱きながら妻子ある男性への許されぬ恋により「女」を開花させていく主人公・里子を見事に演じている。戦争を知らない世代の二階堂が戦時中を生きた同じ年齢の女性をどのような思いで演じたのか、テックインサイト編集部は本人から話を聞いた。

作品の話が来た時、役よりも作品性を重要視するという二階堂ふみ。本作の最後に詩人・茨木のり子の『わたしが一番きれいだったとき』を朗読する二階堂は、この詩との出会いを次のように語る。

■自分の思い描いていた“戦争”がそこにあった。
二階堂:沖縄で生まれ育ち戦争教育はあったのですが、茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』を中学生で初めて読んだ時、(戦争を)身近に実感する作品というのは初めてで、これが戦争なんだなって思ったんです。脚本を読んだ時にそれを思い出して、(本作は)茨木さんの詩そのものだなと思いましたね。荒井監督と初めてお会いしたとき、私と同じことを思っていたのが分かったんです。戦争を題材にしたものを作るとなった時、自分の思い描いていた“こういうものを作りたい”というのがまさに脚本に書かれていて、是非やりたいなと思って演じました。



■なぜ戦争が起きたのか? 広い視野で見ることが大事。戦争を語り継ぐ義務がある。
二階堂:皆が(戦争の)話をしないだけで、意識としては持っていると思います。私は戦争に対する思いが強いわけではなく、戦争という歴史を学んだ時に、なぜ戦争が起きたのか、そこで人々はどういうことを思い、感じていたのかが重要だと思います。戦争が悪だとか感じることはないですね。ですが、何かを肯定して戦争を語るとなると、ものすごくズレが生じてしまうような気がします。祖父母の体験を聞いて思うのは、私も母も戦争を知らないけれど、その時代を生きた人が語り継いでいることは私たちが継いでいかなければいけない。その思いと、(映画を)観た人が自分に重ねて実感するようなものを作らなければいけないという思いでこの作品を作りました。

役作り、特にセリフと仕草にはこだわったという二階堂は、昔の成瀬巳喜男監督や小津安二郎監督の作品に出演した女優の美しく聞こえる日本語の言いまわしからも、里子のセリフや仕草を研究したという。

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