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【エンタがビタミン♪】<大黒摩季インタビュー>復帰初ライブ、舞台までの20cmで覚悟を決めた

TechinsightJapan / 2016年11月18日 20時38分

■母の介護で生まれた曲
―ところで、休業中にはお母様の介護もなさっていたそうですね。『情熱大陸』(TBS・11月6日放送)では、お母様も出演されていましたね。
大黒:母親のテレビ出演は初です。脳出血して半身麻痺、車椅子の姿を同級生たりとも見せたくないと言って引きこもっていたんで、よく勇気出したなと思います。私の復活劇を見ているから、自分も一緒に上がってきたのかな。

―番組の中で作っていた曲『Mama Forever』はもう歌詞は完成したのですか。
大黒:母を介護のために自分のもとに受け入れたのが4年前で、相方(=夫)にも迷惑かけないからって引き取って。嫁ぎ先にも迷惑をかけないという意地で、引き取った日から母に対する切ない思いを言える人がいなかったんです。夜中に書くことで(気持ちを)解消していた自分のプロットがいっぱいあったんです。
番組制作のスタッフから「曲を完成する画を撮りたい」と言われて、「4年間書き続けているのを、ここで一回作り上げてみなさい」と何かが言っているのかなと思って、そのプロットを全部出し、この4年間で一貫している気持ちは何だろうとマーカーを引いていったんです。その日はできないと思っていたんですけど、道産子だからか外で夜風に吹かれたら余計なものがとれて、一気に1コーラスできちゃったんですよ。メロディーが言葉を勝手に選んでくれたみたいで、「あら、できちゃった」って。まだ1コーラスなんですけど、現状では一番で言いたいことを全部言っていますが、介護に傷んでいらっしゃる方に「こういういいこともあるよ」って、二番で言ってあげたいなという気持ちもあるので、年内に作れたらいいなと思ってます。

■曲作りは「弱い自分と理想を求める自分との対話」
―こちらの歌詞は日記のようなものだったのですね。
大黒:もともと人に何かを伝えたいと思う人間じゃないので、曲作りは根本的に“弱い自分”と“理想を追い求めている自分”との私の中の対話なんです。これを同じような経験をした女性が、共感してくださるだけで。
『Mama Forever』もママに伝えているけど、自分の話じゃないですか。全部自分との対話なんで、立ち位置は変わっていないですよね。自分とって作品は保存しっぱなしの出せなかったメールや、出せなかったラブレターのようなものです。

■休業の6年間で基礎工事からリフォーム済み
―お母様との絆がとても強いように見えましたが。
大黒:一日中お母さんのことはさすがにできませんよ(苦笑)。休業の6年間かけて罪ほろぼしをやっただけなんです。
十何年にもわたって私を突っ走らせてくれた人たち、我慢してくれた人たち、ギリギリのところで立っていた家庭、どれも触れていないと隙間もできたりするじゃないですか。夫婦も家族も仲間も、そのタイミング的にはギリギリだったと思います。
だから6年かけてしっかりリフォームしたという感じです。基礎がガクガクしていて無理矢理建たせていたものを、基礎工事し直して、「次は耐震構造ばっちりの家にしてからスタートしようぜ」、というのがこの6年だったと思います。

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