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「手話をおもちゃにしないで」人気ミュージシャンの“ダンス”に当事者が怒りの声。モラル以前の根本レベルで無責任さが見える理由/2024年3月トップ5

女子SPA! / 2024年4月23日 8時47分

(『なぜ手話歌にモヤモヤする? 手話文化の前提を知るため、ろう者に聞いた』日本財団ジャーナル2023年12月28日掲載)

 そう考えると、アイナのケースも、彼女が手話に対して好意的であるがために起きてしまった「文化の盗用」だと言えそうです。

 しかしながら、過去の似たケースと比較すると、ただ不運だったと同情できない構図も浮かんできます。いくつか振り返ってみましょう。

◆『碧いうさぎ』『ロード~第二章』と違う点

 まず、同じくミュージックビデオに手話を取り入れた作品で、『碧いうさぎ』(酒井法子)や『ロード~第二章』(THE虎舞竜)がありました。

『碧いうさぎ』は、酒井法子が聴覚障害を持つ女性を演じたドラマ『星の金貨』の主題歌で、『ロード~第二章』は、手話講習を受けたバンドメンバーがいたという経緯があり、どちらも手話そのものに意味やメッセージも込められていました。

 賛否はあるかもしれませんが、少なくともファッションとして手話を用いていない点で、『宝者』とは異なります。

◆障がいを持つ英国ロック歌手による問題提起

 次に、モチーフとして障がいとどのように向き合うか。イギリスのロック歌手、イアン・デューリー(1942-2000)に『Spasticus Autisticus』という曲があります。これは、自身も小児麻痺を患い左半身の自由を失ったデューリーが、健常者に向けて“俺みたいにならなくてよかったとせいぜい神様に感謝しな”と毒づく内容の歌です。

 曲が発表された1981年は、国連が国際障害者年に制定した年。デューリーは障がい者に対して施しを与えるような社会の空気に抗議したのです。

 しかし、リスナーに不快感を与える表現があるとの理由で、イギリスの放送局は曲を放送禁止リストに入れました。まさに当事者のデューリーだからこその核心をついた表現が、危険だと認定されたわけですね。

 ところが、2012年に状況は一変します。ロンドンパラリンピックの開会式で「Spasticus Autisticus」を障がい者のグループが歌ったのです。臭いものに蓋(ふた)をしてきた社会に対するデューリーの問題提起が目に見える形で結実した瞬間でした。

 同情でも憐れみでもなければ、押し売りの博愛主義でもない。健常者の障がいに向けるまなざしを厳しく問う一曲だと言えるでしょう。アイナの手話とは対極の世界です。

◆「文化の盗用」以前のレベルの問題

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