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42歳で乳がんが発覚した私が「生かしてもらっているのに、消えたい」と思ったワケ

女子SPA! / 2024年7月1日 8時45分

 勉強しない息子をなんとかしなくてはいけない。絶不調で食欲も落ち、不健康に痩せて顔色も悪く、体力も落ちていたわたしでしたが、家で寝ているわけにはいかない、なんとかせねば、と必死で塾を探しても、うちの子のようにやる気のない子の面倒見てくれる塾は見つからず、行き詰まってしまいました。

 ここからさらにメンタルが不調になっていき、ときどき混乱して頭の整理が追い付かないことが増えてきました。

 当時わたしは、同じ病院に併設されていた「精神腫瘍科」という科にもお世話になっていました。

 がん治療中にメンタル不調に陥る人は少なくなく、メンタルケア専門の「精神腫瘍科」という科が設置されていました。わたしは不眠などのうつ症状も出ていたので精神腫瘍科を紹介され、抗がん剤の点滴を打っている時間を利用してカウンセリングも受けさせてもらっていたのです。

◆布団をかぶって「どうしよう、どうしよう…」

 それまでのカウンセリングでは、夫とのいざこざの中で抱いた罪悪感などを話していましたが、新たに「息子の進路」で頭がいっぱいになってしまったわたしは、カウンセリングでもこの状況を話し、整理してもらうことにしました。

 カウンセラーさんもお子さんの中学受験経験があるようで「中学受験は親も体力と精神力が必要。今の状態で挑戦しなくてもいいのではないか?」など意見をくれました。子どもは私立中学じゃなくてもちゃんと育つよ、と。

 ですが当時のわたしは不安に溺れ、思い込みも強かったのでカウンセラーさんの話さえまともに聞けませんでした。「なんとかしなくちゃ」という気持ちばかり先行して「なんとかなるさ」の視カ点は一切持てなくなっていました。頭はいつもグルグルと考え、もつれ、ときどきパニックも起こします。

 なんとなしなくちゃと思えど何も案が浮かばず、布団をかぶって「どうしよう、どうしよう」と思っているだけで1日が過ぎる日もありました。口を開けば「塾どうしよう」と言い出すありさまになり、常に何かを考えている状態で、目もうつろな状態でした。

 この当時は食べることさえ面倒になっていました。なんとか晩ごはんは作りましたが、調子の悪いときには炒めて市販の「クックドゥ」のような調味料を入れるだけのもの一品作るのがやっと。

 昼間、夫と息子がいないときには食事も面倒で、空腹になったらフラフラとキッチンに行って、手づかみで白米を食べたこともありました。このころは食べ物の味も感じられないほどになっていました。

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