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42歳で乳がんが発覚した私が「生かしてもらっているのに、消えたい」と思ったワケ

女子SPA! / 2024年7月1日 8時45分

 ときどき夫や母が心配して「何かおいしいものでも食べに行こう」と言ってくれるのですが、美味しいものなんか食べたいと思えず、食べたところで味もせず、ただひたすら家で寝ていたい、明るい光や音楽さえうるさく感じ、部屋を真っ暗にして横になる日々。

◆生きていることに感謝できない自分を責め続ける

 でも、横になったところで眠れません。その状態がつらすぎて「消えてしまいたい」とずっと思っていました。矛盾していることもわかっていました。「生きるためにがんの治療をしているのに、消えたら意味ないじゃん」「でも今の状態が辛いし不安で、じっとしているのもつらい」……。

 それと同時に抗がん剤のしびれもじわじわと増していきます。必要以上に恐怖心や不安を覚えるようになり、毎回ビクビクしながら抗がん剤の投与に行き、なんとか生活を送っていました。

 そうこうするうちに、パクリタキセルの12回投与が終了。これで抗がん剤治療が終わったのに、すでにメンタルの不調がひどいことになっていたわたしは、嬉しいといった感情さえ持てませんでした。けれど治療はもう少し続きます。

 次は放射線治療。こちらは週5日、月曜日から金曜日まで毎日放射線治療に通う必要がありました。それを4週間。つまり1か月間は放射線治療に通うことになります。都内まで毎日は通えないため、家から近い医療機関に紹介状を書いてもらい、通うことになりました。

 この時期は沼に溺れてしまったような感覚で、息をするのも苦しい時期でした。せっかく手術し、抗がん剤もきっちり終えて、放射線まで来ているのに、生きている喜びなんて感じられない。

 お金をかけて生かしてもらえているのに、生きることに感謝もできず、息子の塾のことばかり考えている自分にも嫌気がさしていましたし、だからといってそれを止められず、そんな自分を責め続ける日々。本当に出口が見つからない状態でした。

 当時の状態をここまでリアルに書くと、読者の皆さんも暗い気持ちになってしまうのではないかと思い、どこまで詳しく書くか躊躇しました。

 ですが、当時のことを冷静に振り返って文章を書けるようになるまでに今は回復しました。乳がんになる前よりずっと今の人生のほうが楽しいです。ですから、この辛すぎた時期も私にとっては必要なことで、大きな転換期としてわたしの人生に、わたし自身の成長の糧になったと心から思えるので、あえてそのままお伝えします。次回以降、徐々に回復する過程もお読みいただければ嬉しいなと思っています。

<文/塩辛いか乃 監修/沢岻美奈子(沢岻美奈子女性医療クリニック院長)>

【監修者:沢岻美奈子】

日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医。神戸にある沢岻美奈子女性医療クリニックの院長。子宮がん検診や乳がん検診、骨粗鬆症検診まで女性特有の病気の早期発見のための検診を数多く行なっている。更年期を中心にホルモンや漢方治療も行い女性のヘルスリテラシー向上のために実際の診察室の中での患者さんとのやりとりや女性医療の正しい内容をインスタグラムで毎週配信している

【塩辛いか乃】
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako

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