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42歳で乳がん発覚。“自分の体がモノのように”感じてツラかったこと「油性ペンで…」

女子SPA! / 2024年8月4日 8時45分

 息子が小さいころから積もりに積もっていた育児の悩みと、今現在の方向性が決まり、がん治療とともに、プライベートまで大混乱だった状況が、ひとつずつほぐれていくのを感じました。これが息を吹き返す大きなきっかけだったかもしれません。

◆乳がん発見から1年、ついに治療が終了

 年末に別の病院で放射線治療を終えた私は、年明けに元の病院に戻り、主治医の先生の診察を受けました。乳がん発見からまる1年が経っていました。主治医の先生は優しく「1年間よく頑張ったね。いろいろあって本当に大変だったと思うけれど、できることはすべてやったから、あとはあまり細かいことを考えずに過ごしていいと思いますよ」と言ってくれました。

 腫瘍を取り除き、転移したリンパのみならず、乳房周辺のリンパ節は転移の可能性があるためごっそり取り除きました。さらにそこに全身に散らばっているかもしれないがんの種を根絶やしにすべく抗がん剤を投薬し、仕上げに外から手術後の患部に放射線を当てて焼野原に。できることはすべてやった。本当にそうです。

 乳がんのタイプによっては5~10年服用するホルモン治療も私の乳がんタイプでは効かないとされているため、これで本当に治療は終了です。

 先生に言われるまで気づきませんでしたが、この1年間目先の治療をこなすべく、そのたびに不安になりながら、そしてプライベートでもぐちゃぐちゃしながら、必死で治療の日々を駆け抜けてきたのだなと実感しました。

◆やる気満々でスタートしたがん治療だったけど…

 治療をすべて終えた私は、この記録を自分で持っておきたいと「カルテ開示」をお願いすることにしました。今後そこまで詳細情報が必要に自分がどのように診断され、どんな手術をし、切り取った私のおっぱいはどんな診断をされたのか知っておきたいと思ったのです。

 開示されたカルテには、なんとわたしの切り取られたおっぱいの写真も載っていました。自分の身体から切り離されたおっぱいはなんとなく不気味でしたが、自分の胸についていたときの面影もあり、なんともいえない気持ちになりました。

 手術で取り除いた組織は、今後の研究のために使用しても構わないとサインをしたので、わたしのおっぱい細胞は、わたしの身体を離れて後世の研究にも活かされているのかもしれないと想像を膨らませました。

 乳がんが見つかった当初は「楽しんで治療を乗り切ってみせる!」などとやる気満々で開始した治療ですが、私にとってこの1年はなかなかに長く感じました。手術で体力が落ちたり、長丁場の抗がん剤などで気力も落ちていたのでしょう。治療中にあったさまざまなことも含め、当初に考えていたほどの元気さで完走することはできませんでした。

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