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【追悼】「代わりに肩だけ貸してね」関係者が語る、生涯現役を貫いた桂由美さんの愛され理由

週刊女性PRIME / 2024年5月7日 16時0分

桂由美さん

 ファッションデザイナーの桂由美さん(享年94)が、4月26日に逝去した。花嫁の夢を叶えることに生涯を捧げた。

「“結婚式は和装”が常識だった'65年に、日本初のブライダル専門店をオープン。婚礼にウエディングドレスを普及させた立役者です。世界的にも高く評価されています」(ファッション誌編集者)

ウエディングドレスとブライダルの開拓者

 亡くなる直前まで、第一線で活躍していた。美容家で“魅力研究家”を名乗るマダム路子さんは、55年前から桂さんの姿を見てきた。

「会って、すぐに打ち解けました。彼女はウエディング、私は美容室の地位向上を考えており、共同でプロジェクトを始めました。

 桂さんは仕事に対して一直線に突っ走る。でも、パッと後ろを見ると誰もいなかった、なんてことも(笑)。情熱的なので、周りが見えなくなっちゃうんだけど、慌てんぼうで、おっちょこちょいなところもあって、人を惹きつけました」

 実業家で結婚式のプロデュースもするダマ奈津子さんは、桂さんのブライダルミュージアムを神戸に誘致した。

「日本になかった“レストランウエディング”を一緒に仕掛けたのです。有言実行で、とにかく決断が速い。ダメなものはダメ。イエス、ノーがハッキリしていました」

 会食しながら話をすることも多かった。

「コース料理を頼むと、魚、肉、デザートもいっさい残さず食べました。“人さまから出されたモノは残してはいけない”って。庶民的な店も好きで居酒屋さんや串カツ屋さんにも行きました。

 “楽しく食べながら意見が聞けてアイデアが生まれるから”って、会食が好きでした。亡くなる3日前に電話して、4月24日に東京で食事しませんかと、お誘いしたんです。でも“大阪の学校で挨拶の予定がある”と……。お会いできなかったのが残念です」

 桂さんは10年前から、ファッションイベントなどを開催する団体『アラウンドビューティークラブ』の理事も務めていた。同団体で役員を務める原孝子さんは、桂さんに“励まされた”と話す。

新しいことをどんどんやろうって、とにかく前向き。何か思いつくと、すぐにケータイに電話をくれました。腰が低い方で、40歳以上も年下の私に荷物を持たせてくれない。

 “代わりに肩だけ貸してね”って。ランウェイでは私と手をつないで歩いていました。一方で、ホテルにチェックインするときは男性スタッフにエスコートを頼んでいて。“女性に頼むと介護に見えるじゃない”って(笑)」

 サービス精神が旺盛で、疲れていても手を抜かない。

「一緒に参加したパーティーで、桂さんと写真を撮りたいという人が100人並んでも、いっさい手を抜かず、一人ひとりに応対していました。そういうところも尊敬できますよね」(前出・マダム路子さん、以下同)

 私生活では40代で結婚した11歳上の夫は、'90年に71歳で亡くなった。

「自由に生きる桂さんを支える、包容力のある人でした。桂さんは“もっと一緒にいたかった”って。晩婚で、お子さんもいなかったから“私は結局1人ね”って。でも、1人になって余計に強くなったのでしょうね。後になって“結婚してよかった”とも言っていました」

 日本に西洋式のウエディングを持ち込んだが、晩年は意識の変化も。

「最近は、神社に興味を持っていました。“これからは結婚の周年行事は神社ではないか”と話していました。日本人として原点回帰しようということでしょうか」(前出・ダマ奈津子さん、以下同)

 常に新しいことを考えて行動するスタイルは、最後まで変わらなかった。

「昭和の時代は、女性が新しいことをするのは高いハードルがありましたが、桂さんは“できない人が焼きもちを焼いているだけ、気にしちゃダメよ”って。とにかくマイナスなことを口にすることを嫌っていました」

 前を向いて一直線に、走り抜いた人生だった。

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