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赤い樵 「樹齢60年ほどの銀杏の大木を伐採してから起きた恐怖体験」|川奈まり子の奇譚蒐集二八

TABLO / 2019年7月14日 6時0分

写真はイメージです

先日、怪談イベント界隈の友人・最終京王線さんから紹介された方を取材させていただいた。30年近く東京で造園業に携わっているそうで、仮にお名前を石川政宗さんとして、彼の体験談を綴りたいと思う。

石川政宗さんは現在46歳で、主に東京都渋谷区など都心部の街路樹や植栽の管理を手掛ける造園会社を経営しているが、造園業に初めて携わったのは18歳のときだという。その頃、原宿にある老舗の造園会社で働きはじめて、29歳で独立した次第だ。

これからご紹介する出来事が起きたとき政宗さんは22歳で、代々木公園の樹木の伐採作業をしていた。

当時、勤務先が渋谷区の植栽管理を1年契約で請け負い、その一環として代々木公園の木を間引くことになり、彼が作業に当たった次第だ。

――そういうわけで、その8月の炎天下を政宗さんは区役所の担当者・Aさんと区が選任した学者と連れだって園内を歩き、指定された木を伐り倒していた。

東京の8月は暑い。ましてや伐採作業に向いた快晴の昼間だ。

さっさと仕事を済ませてエアコンのきいた室内へ逃げ込みたいものだが、そうもいかない。お役所の仕事なので、木を伐る前と伐った後に、その場所で「施工前」「施工後」などと記したホワイトボードを掲げて写真を撮り、間違いなく作業をしたことを証拠づける記録を取っておかなければならなかった。

そのためAさんが小さなホワイトボードを抱えて政宗さんたちと同行していたわけだが、このAさんと政宗さんは歳が近かった。

会社が区役所と契約を交わしてからすでに数ヶ月経っていて何度も顔を合わせていたこともあり、お互いに気心が知れていた。

だから暑いことを除けばリラックスした雰囲気でミッションが進行していたのだった……途中までは。

「これは伐りたくないなぁ」

と、強く思い、悪い予感を覚えた木に出遭って政宗さんがたじろいだのは、園内の森の中でのことだった。

そこに忽然と、垣根で囲まれた一角があり、何かの記念碑が建てられていた。しかし辺りは寂れており、訪れる人が滅多にいないようだ。政宗さん自身も、ここにそんな碑があることは知らなかった。

問題の木は、この記念碑のそばに生えていた。

樹齢60年にはなろうと思われる、高さ20メートル以上もある銀杏の大木で、区が伐採すべしとした理由は「安全管理のため」ということらしい。周囲の木より飛びぬけて背が高いため、確かに、落雷などの危険性がないとは言えない。

しかし政宗さんは、この木だけはなんとなく伐りたくなかった。

植木屋として健康で立派な樹木を伐りたくないといった感情的な理由ではなく、いわば霊感的に「この木を傷つけてはいけない」と直感したのである。

しかしAさんや学者に「霊感が止せと告げているので伐らなくていいですか?」とは言えなかった。会社が引き受けた仕事ではあるし、信じてもらえるわけがない……。

政宗さんには少しだけ霊感があって、彼自身は心霊現象なども信じるたちだったけれど、常識というものもわきまえていた。

だが、すぐそこにある碑文を読んだところ、終戦直後に大東塾生ら14人がここで自刃したのだとわかった。しかも、「建碑に当っては米軍進駐前に採取した血染の砂が碑の下に納められてゐる(原文ママ)」と記されているではないか。

碑銘は《十四烈士自刃之處》。

「さあ、やりましょう」

Aさんに促されて、断ることも出来ず、政宗さんはその銀杏の大木を伐った。そしてAさんがホワイトボードに「施工後」と書いて切り株の写真を撮影し終えるまで、なんとも落ち着かない、厭な気分を味わった。

Aさんが写真を取り終わると、ようやくその場から逃れられるので、ホッとしたのだが……。

そこから15メートルほど離れたときだった。

ふと気配を感じて振り返ると、今伐ったばかりの切り株から身長50センチばかりの真っ赤な人の形をしたものが後ろ向きに這い出てきていた。

驚愕のあまり声も出せずに見ていると、それはすぐにこちら向きに体勢を変えてピョンピョンと跳ねながら接近してきた。

その格好が、樵というか杣というか、昔の林業従事者のようで、ただし、着ているものから肌の色まで真紅に染まり、内側から発光している。つまり赤いライトのように輝いていた。

呆然とするうちに、赤い樵のようなそれは、みるみるこっちに近づいてきた。近づくにつれて縮んでいき、身長5センチほどになると、政宗さんの後ろを歩いていたAさんの身体に飛び込んだ。

Aさんは政宗さんが立ち止まっていることに戸惑っているだけで、何も気づいてはいないようすだった。

赤い樵がAさんの身体に入っていたのは一瞬のことで、即座にピョンと抜け出してきて、逃げる間もなく、次は政宗さんの身体に飛びついてきた。

「あっ!」
「どうしたんですか。石川さん、さっきから?」

赤い樵は政宗さんの中に入ったきり出てこなかった。衝撃を受け、非常に頭が混乱してしまったが、その場は何事もなかったかのように装った。Aさんはやはり何も気づいていないようだ……と思いながら。

その日、仕事を終えても政宗さんは食欲が湧かなかった。

これは奇妙なことだった。22歳の植木職人である彼は、いつもは食欲旺盛なのだ。170センチ少々の身長に対して体重は75キロあったが贅肉は無く、筋肉質でがっちりとした体躯だったのは職業柄もあろうか。

一仕事を終えるとしっかりと飯を食べ、速やかに消化して、よく働き、また食べる。この健やかな循環が乱れたためしがない政宗さんだった。

ところが、十四烈士の碑のそばに生えていた銀杏を伐ってから、食欲がない。

食欲減退などという生易しいものではなく、まったく何も食べたいとは思わなくなった。胃に何かが滞留している感覚があり、食べ物を呑み込むことを想像しただけで具合が悪くなりそうだった。

実際、数日は水だけで過ごした。

するとたちまち痩せてきた。さらに、これまでは感じたことがなかった重い疲労を感じるようになり、そこで危機感を覚えてなんとかしてものを食べようとしはじめたが、かろうじて少量の納豆を飯無しで掻き込むことが出来ただけ。

しかし、なんとか呑み込めた納豆も、腹の中で何倍にも膨らんだ感じがして、その後はまた24時間以上、何も口に出来なかった。

政宗さんは納豆が大嫌いだったのだが、いろいろ試してみて口に出来たのが納豆だったのは、父の霊のお陰かもしれないと思った。と、いうのも、彼の父は早死にしたのであるが、生前、納豆が大好物でしょっちゅう納豆を食べていたので。父が守護霊となって、納豆を食べさせることで守ってくれているのだと考えたのだ。

そこで、亡き父の守護に応えるためにも、命を繋ぐためにも、政宗さんは翌日も少しだけ納豆を食べた。

けれども、労働する若者が納豆少しと水だけで体がもつはずもなく、ひと月も経つと、75キロあった政宗さんの体重は、なんと48キロまで落ちてしまった。

その頃、同時にAさんにも同じ症状が現れていた。

つまり、件の銀杏を伐ってから食欲が消えて、痩せてきたのだ。政宗さんとの違いは、納豆も食べられなかった点だけだ。

政宗さんとAさんは代々木公園の作業の後も、仕事で週に何度も会っていた。

そのAさんが、見るたびに痩せて、やつれていくので、政宗さんはより一層、不安を掻きたてられるようになった。

――あの赤い樵のせいなのではないか。

――十四烈士の自刃と関係がある、祟りなのではないか。

そう思うようになってきたのである。

自分ひとりなら偶然だと考えられたが、Aさんも同じように異常なスピードで全身の肉が削ぎ落されていっていることが明らかになるに従い、怪しい霊現象に巻き込まれたのだと思うようになっていったわけである。

代々木公園の件から一ヶ月後、Aさんはとうとう区役所を辞めてしまった。

体力が続かなくなったのだ。福岡の実家に帰って、精神科を受診するつもりだと言っていた。しばらくすると、鬱病だと診断されたと知らせてきた。その後、離婚してしまったようだが、あとのことはわからない。音信不通になってしまったのだ。

政宗さんも限界だった。意地でも仕事は休まなかったけれど、もうフラフラで、いつ倒れるかは時間の問題だった――いずれ木が倒れるように倒れるのだ、と、彼は自分の最期を頭に思い浮かべるようになっていた。

政宗さんが思うに、人は木を見ると、地面の上に現れているものが木のすべてだと思いがちだが、本当は、地面の上にあるのは木の身体の腹から上の部分だけで、腹から下は土の中に埋まっているのだ。

あの銀杏の切り株の辺りが腹だったのだ。

だから自分は腹から下を失ってしまい、ものが食べられなくなったのだ。根を失くした木は死ぬ。このままでは自分もきっと助からない……。

死にたくなかったから、政宗さんは病院を受診したが、内科の医者には匙を投げられ、精神科を受診するように勧められた。

そこで、Aさんのことが思い浮かんだ。精神科で診てもらっても経過がはかばかしくなかったようで、離婚に至ったAさんは、最後に電話で話したときは田舎の実家で母親と暮らしていると言っていた。

政宗さんは、前述したように父をすでに亡くしていたから、母親に心配させまいとして、この件についてはそれまでずっと隠していた。

けれども、精神科を勧められてAさんのことを思い出すと、今のうちに母に相談しておいた方がいいと考え直した。

そこで母に、代々木公園で石碑のそばの銀杏を伐ったことからものが食べられなくなったこと、短期間で激しく痩せてしまったことまで全部、打ち明けた。

政宗さんの母という人は、とある地方の土地持ちの娘で、その生家では、商売繁盛などを願い、代々、東伏見のお稲荷さまを信心していた。そして母とその家族も、神や霊の存在を疑っていなかった。母の実家は今では鉄筋コンクリートのマンションになっているが、屋上に稲荷社を三柱も建てて、現在も大切に祀っていた――東伏見の稲荷と、それを守る従僕的な稲荷たちなのだそうだ。

政宗さんから話を聞くと、彼の母は、すぐにその稲荷に守られている実家に彼を連れていった。

すると政宗さんは、屋上にある稲荷社が怖くてたまらないと感じた。今までは何とも思わなかったのだが、到着してみたら、頭の上にある神さまの存在がとにかく恐ろしい。

腹の中に悪魔がいて、その悪魔がお稲荷さまを恐れているのだとでも考えなければ説明がつかないが、理屈抜きに、震えるほど怖い。

そのようすを見て、政宗さんの母は、叔父(母の弟)に頼んで、叔父の連れ合いの実家と懇意にしている、とある地方の拝み屋を紹介してもらった。

なんでもその人は92歳のおばあさんなのだが、霊視に優れ、たいへん強力な憑き物落としの実力者でもあるという。

除霊できないものがないほどだ、と、聞いた途端、政宗さんは、否、政宗さんの中にいる何かは、さらに震えあがった。

厭がるのを、母と叔父に2人がかりで無理矢理、叔父の車に乗せられて引っ張っていかれた。政宗さんによれば、抵抗しようにも体力が尽きて、すぐに気絶するように眠ってしまったので、この道中のことはほとんど記憶にないそうだ。

気がつくと、すぐそばにちんまりとしたおばあさんが立っていて、彼の手を引いて、立派な木彫りの大黒天の像が祀られている座敷に連れていった。

――凄い拝み屋のようには見えなかったが、彼女がそうだということはすぐにわかった。

手を取られた途端に抵抗する気が失せ、大人しくついていくしかないと悟ったのだ。小柄な老女の全身から、眩いオーラが発せられているのもわかった。後光のように、強いエネルギーが彼女を取り巻いていた。

「名前はなんというの? 大黒様に名前を告げてください」
「石川政宗……」

自分の名前を口にするや、奇妙な感覚が政宗さんを襲った。

身体から魂の一部が抜け出して、おばあさんの中に入ったように思えたのだ。「大黒様が教えてくださいます」と、おばあさんは前置きして「公園で木を伐りましたね」と言いあてた。

「明治神宮の近くの公園で、いわくのある土地に育った木を伐ったことで、こうなったんです。そのとき何か見たでしょう?」

驚きながら政宗さんがうなずくと、「あなたには東伏見の白いお稲荷さんが憑いています。そのお陰で生き延びていますが、危ないところでした」と告げた。

その瞬間に、激しい食欲を政宗さんは感じた。

グーッと腹が鳴り、飢餓感を覚えて、今すぐ席を立って何か食べに行きたくなったが。

「まあ、お待ちなさい。少し話を聞いていきなさい」と、おばあさんに引き留められた。

「あなたにこれから起こることを教えてあげます」

「……虐げられている人たちに遭遇しますから、迷わずに心を尽くして助けてあげなさい。また、今から3年後にひとりで子どもを抱えて苦労している女性があなたの前に現れますが、その面倒をみてあげなさい。この2つだけを守れば、あなたは一生お金に困らないでしょう」

その日を境に、政宗さんはみるみる回復した。

そしてそれから半年後、たまたま町中で、顔に痣を作ったり、頬を腫らしたりしている5人ぐらいの子どもの集団と遭遇した。

気になって後をつけていったところ、彼らは児童福祉施設に入っていった。親などに虐待を受けて施設に入所している子どもたちだったのだ。

おばあさんのお告げを憶えていたので、政宗さんはさっそく貯金をおろしてその施設に寄付をした。

その頃から造園会社の景気が上向いて、手取りが増えだしたので、以降3年間、100万円ずつそこに寄付しつづけた。

政宗さんの仕事は、ますますうまくいった。大きな仕事を任されるようになり、年を追うごとに面白いように収入が増えていった。

25歳のときに、弟からある女性を紹介された。

シングルマザーで、キャバクラに勤めているのだという。少し話すうちに、子どもは小学1年生になるが、夜、面倒をみてやることが出来ず、子の父親はヤクザで刑務所に入っているし、昔の悪い仲間たちとの付き合いも切れないし、勤めも続かず店を転々としてしまい、今後のことを考えると悩みが深くなるばかりだ……と、彼女は政宗さんに打ち明けた。

政宗さんの弟が、いわゆるチーマーとして不良ぶっていた頃からの知り合いだそうだが、彼女が根から悪い人間ではないことは、目を見ればわかった。

異性として惹かれるところはなく、妹のような感じがして、放ってはおけないと思い、その場で「今後は助けるから遠慮せずに頼れ」と彼女に言った。その後で、「そういえば……」と、例のお告げを思い出して、今が3年後だと気がついた。

「その女性とは今も連絡を取り合っていますが、恋愛関係になったことはありません。きょうだいになったつもりで、助けてあげただけです。初めの頃は、子どもに夕ご飯を食べさせて寝かしつけてあげて、その後も何かと……。子どものためにちゃんと生きろと彼女を諭して……今では昼の仕事に就いていて、子どもは高校生ですよ」

取材中に私は、かなり不躾な質問をあえてすることがある。そのときも政宗さんに、こんなことを訊ねた。

「でも、お互いに赤の他人ですよね? 恋人でもない異性を家にあがらせて子どもの面倒をみさせるというのは、普通なかなか、しませんよね?」

すると政宗さんは、怒りもせずに、こんなことを話してくれた。

「彼女は、僕の弟の下に生まれるはずだった子どもの生まれ変わりだと思えたんですよ。人は生まれ変わるか鴉になるのだと僕は信じていて、彼女は水子の生まれ変わりなんじゃないかと、ごく初期から思っていたんですが、何度も会ううちに確信に変わりました。母が弟の下の子を堕ろしたことを知っていましたからね。きょうだいに巡り合ったんだと信じています。肉親なら、助けるのは当たり前のことです」

結果的に、政宗さんは母子を救った。お告げに従っただけではなく、堕胎された肉親の水子の生まれ変わりだと信じることで、純粋な気持ちで力を尽くしたわけである。

拝み屋のおばあさんのお告げは的中して、彼は事業に成功し、裕福に暮らしている。9歳の息子を可愛がっているが、その子は「父の生まれ変わりだと思う」と言っていた。

南青山の我が家から代々木公園は徒歩圏内だ。さっそく、お話に出てきた《十四烈士自刃之處》を見てきた。

事前に、東京都公園協会のサイト(https://www.tokyo-park.or.j)で代々木公園のページを調べたところ、「十四烈士の碑」として、園内マップに位置が表示されていた。

インターネットでリサーチしたら、この記念碑については園内マップなど表立ったものには標記されていないとする説を多く見かけたが、こうもあっさり見つかると、さて、どうなのだろう……と、思いきや、実際に代々木公園内にある案内板には十四烈士の碑の標示はなかった。

前もって下調べをしておいて正解だったのだ。お陰で迷わず行けた。

行ってみれば、なるほど、滅多に人が訪れない雰囲気ではあった。関係者にしか知られていないのかもしれない。それと、歴史好きな一部の人にしか。

政宗さんが話していたとおりの碑文(血染めの砂を碑の下に納めたという……)の他に、集団自決(自刃)事件の経緯などを説明する碑も建っていた。

《昭和二十年八月二十五日早暁 元代々木練兵場の一角なる此の處に於て 塾長代行影山庄平翁以下十八歳の少年に至る十四名の大東塾々生 古式に則り 一斉に壮烈極りなき割腹自刃を遂げ 以て大東亜線終戦の大難に殉じ 祖国再建の尊き人柱に立つ
十四烈士共同遺書 清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓つて無窮に皇城を守らむ》(旧字体を改めたが原則的に原文ママ。但し末尾の影山庄平翁辞世歌を省略)

14名の遺体(うち1人は虫の息で発見されたが当夜のうちに死亡)が発見されてから4ヶ月足らず後に、ここは連合軍に接収され、米軍施設・ワシントンハイツの建設用地となった。

進駐軍の米兵とその家族が暮らしたワシントンハイツは、近代的なアメリカの住宅街を再現したもので、集団自決のあった場所は一時は米兵の子弟が遊ぶ庭になっていたらしい。

十四烈士自刃之碑は、ワシントンハイツが日本に返還されるより5年ほど早く、昭和34年に米軍の許可を得て建てられた。

その際に、石碑の下に、自刃直後に大東塾関係者と地元町内会の有志が採取して保管しておいた「血染の砂」納められたのだという。

そのときにはすでに、あの銀杏の木があったのではないか?

14人が割腹自殺して流れた大量の血を吸った土。そこに根を張って生長した大木を、政宗さんは伐ってしまったのでは……。

そう考えると、なんだか私までお腹のあたりにどんよりした違和感を覚えて、食欲が失せてくるのはどうしたわけか。

木が、人間ならば腹にあたるところで伐られて根を失ったから自分の腹がおかしくなったのだというようなことも政宗さんはおっしゃっていたけれど、集団で切腹した場所に原因があるという可能性も……。

それにしても、では、赤い樵は何なのか?

土地神だろうか。それとも……。などと考えても埒が明かないと思われるので、この稿はここまで。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【二八】)

あわせて読む:阿蘇山の夜道 「夜中に寝ていると『窓の外を見ろ!』と叫ぶ何者かの声」|川奈まり子の奇譚蒐集二七 | TABLO

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