あの時代、男たちはなぜ電車の網棚に読み終えた雑誌や新聞を置いていったのか 平成大人の暗黙ルール|中川淳一郎
TABLO / 2020年1月21日 11時27分
1990年代中盤は雑誌が売れに売れている時代だった。週刊誌の売り上げは今は半分以下になり、書籍・月刊誌も激減している。新聞も部数が激減し、ニュースを読むにしてもスマホに取って代わられるようになっていった。
特にこの傾向が強くなったのが電車の中である。ネットがここまで普及する前、電車と新聞・雑誌は切っても切れない関係にあった。何しろ網棚の上には「日刊ゲンダイ」やら「東京スポーツ」「ヤングマガジン」「ビッグコミックスピリッツ」「FRIDAY」などが頻繁に置かれてあったのだ。
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読み終わった人は「これ、読みたい人はタダで読んでいいからな」と電車を降りる時に網棚にポーンと乗せる、小粋な大人的対応をしていたのだ。後から来た人、座っていた人、車内にいた人はその新聞や雑誌を取っても猛烈な冷たい視線を浴びることはなかった。
そしてその男も読み終えたら「これ、読んでいいからな」とばかりに置いていく。かくして「知の連鎖」「無言の男の伝言」といった光景が電車の中では展開されていた。さらには駅の新聞・雑誌入れを漁る人もいた。キチンとしたスーツをきたオッサンだったりもしたのだが、これを特段恥と考えることなく拾っていたのである。
こうした行動が頻繁に観られていたのだが、やはり中には「さすがにゴミ箱を漁るのは紳士の嗜みとしていかがだろうか……」と悩む人も登場する。そうした人々の躊躇心を突いたのがホームレスの皆様方である。
彼らは両手に麻のようなもので作られた頑丈な手提げ袋を持ち、網棚の上やホームのゴミ箱から雑誌をあさり、それをバシバシと詰めていくのだ。満杯となったこの袋を「雑誌取り仕切り人」みたいなオッサンに渡し、報酬をもらう。
後は駅前で「1冊100円」と段ボールの裏かなんかに書いた値札をブルーシートみたいなものの上に乗せる「販売人」が次々と売っていく。ホームレスは100円のうち何割がもらえるのかは分からないが、あれだけホームレスを見かけただけに相当売れていたのでは。
カネのない学生なんかも「うひゃー、得しちゃった!」なんて言いながら5冊も雑誌を買ったりしていた。まともな格好をした管理職風オッサンまでこの「100円雑誌」を買っていたのである。
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雑誌調達人たるホームレスにとっては駅の間隔が短く、グルリとまわる環状線の山手線は最高の“漁場”だったのではないだろうか。たとえばJR中央線に乗ってしまった場合は、「東京―立川」で雑誌を漁っても途中からは捨てられている数が減るだろうし、何しろ間隔が開いてるから効率が悪い。
山手線の場合は、たとえば新橋を根城としている人であれば隣の有楽町で降りてあとは歩いて新橋まで雑誌を渡す、といったことをしていたのかもしれない。ホームレス同士で「有楽町の方が浜松町よりもずっと近いからそっちを利用した方がいいぞ」なんて情報交換をし合っている様も想像できる。
当時出版業界で働いていた人々はこの光景を見て「オレが必死に作った本をこんなに激安で売りやがって……」と思っていたかもしれない。こうした時代の少し後、私も雑誌作りを経験するようになったが、網棚に新聞や雑誌がすっかり置かれなくなった時代が少し寂しくも感じるようになっている。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)
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