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GT-R伝説もココから…半世紀前は凄かった!? 節目の50周年を迎えた名車5選

くるまのニュース / 2019年4月9日 6時10分

物事の区切りになる大事な時や場面のことを「節目」といいます。クルマにおける節目というと、5周年、10周年など、切のよい年月が一般的ですが、いまからちょうど50年前の1969年、数々の名車が誕生しています。そこで、1969年に発売されたクルマ5車種をピックアップして紹介します。

■1969年は高性能化へのスタートだった

 物事には節目というものが存在します。意味としては区切りになる大事な時や場面のことです。

 なかでも一般的に浸透している節目というと「何周年」という区切りではないでしょうか。クルマの場合も発売5周年や10周年という言葉を、よく目にすることがあります。

 そこで、大きな節目として1969年発売から今年でちょうど半世紀、50周年を迎えたクルマのなかから5台をピックアップして紹介します。じつはこの年に発売されたクルマは名車揃いだったのです。

●日産「フェアレディZ」

新世代のスポーツカーとしてデビューした「フェアレディZ」(画像は「Z432」)

 ダットサン「フェアレディ」というと、2シーターオープンの英国的スポーツカーをイメージさせるクルマです。

 しかし、1969年に一新された「フェアレディZ」は、クローズドタイプ・ボディの、世界を見据えたスポーツカーとして発売されました。

 発売当初は2リッターSOHCツインキャブの名機「L20型」エンジンを搭載したモデルと、「スカイラインGT-R」にも搭載された2リッターDOHC4バブル3連キャブの「S20型」エンジンを搭載したモデルがラインナップ。

 なかでも「S20型」搭載車は「フェアレディZ432」と名付けられました。「432」は「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」を意味します。

 初代フェアレディZは主にアメリカに輸出され、デザインのよさ、性能の高さ、そして価格の安さから大ヒットを記録。同じくアメリカが主な顧客だった欧州製スポーツカーにとっては、大きな打撃となる存在でした。

 なお、160馬力と当時の水準ではかなりの高性能だったフェアレディZ432は、日本専売モデルで輸出はされず、いまもアメリカのZファンにとって垂涎の的となっています。

●スバル「R-2」

いまでも通用するレトロモダンなデザインの「R-2」

 日本が誇る偉大な軽自動車というと「スバル360」ですが、後継車として1969年に発売されたのがスバル「R-2」です。

 スタイルが特徴的なスバル360とは違い、オーソドックスな2ボックスに変わりました。個性的なスタイルではないものの、スバル360よりもさらに広くなった室内によって、居住性、実用性は大幅に改善されています。

 リアに搭載されたエンジンは360cc空冷2サイクル2気筒とスバル360から踏襲され、出力は30馬力を発揮。400kg台の軽量な車体には十分な出力でした。

 1970年にはスポーツバージョンの「R-2 SS」が加わり、こちらは36馬力にチューンナップされています。

 1972年に発売された「レックス」と併売されていましたが、軽乗用車はレックスに一本化され、1973年にR-2の販売は終了。

 12年間も販売されていたスバル360よりも、R-2の現存数は少なく、いまとなってはかなりの希少車です。

●ホンダ「1300」

空冷エンジンの迷車として名を残すホンダ「1300」

 本田技研工業の創業者である故・本田宗一郎氏は、空気でエンジンを冷やす、いわゆる「空冷」至上主義だったことは有名です。

 実際に、クルマ、バイクのみならずF1用エンジンも空冷で作ってしまったほどです。

 そのホンダから1969年に発売された、同社初のセダン「1300」はユニークな空冷エンジンのクルマでした。その名のとおり1.3リッター直4空冷エンジンをフロントに搭載し、前輪を駆動するFF車です。

 ラインナップはエンジンの仕様の違いから大きく分けて2種類あり、1キャブ100馬力のスタンダード仕様「77シリーズ」と、115馬力4連キャブの高性能仕様「99シリーズ」と、どちらも当時の水準では高性能なエンジンとなっていました。

 ホンダも「2000ccクラスのパワー、1500ccクラスの居住性、1000ccクラスの経済性を兼備した車」というコンセプトを掲げていましたほどです。

 しかし、実際のセールスは低迷。空冷エンジンの利点である軽量シンプルな構造とはかけ離れた、複雑な構造の重いエンジンは、操縦性にも悪影響をもたらしてしまいました。

 1972年1300は水冷エンジンに移行(「145」に改名)し、ホンダの四輪用空冷エンジンは終焉を迎えます。

 後年、1300は失敗作という烙印を押されてしまいますが、この時に蓄積された生産技術のノウハウと、開発のシステム化は、続く「ライフ」「シビック」の成功に大いに活かされたといいます。

■伝説となった2台の「R」も1969年に発売

●いすゞ「ベレットGTR」

名車「117クーペ」の心臓が与えられたスポーティカー「ベレットGTR」(画像は後期型)

 2002年に国内の乗用車販売から撤退したいすゞですが、かつては高性能かつ個性的なクルマを次々と世に出すメーカーとして知られた存在でした。

 いすゞのスポーティなFR小型車として1963年に発売された「ベレット」ですが、さらに高性能バージョンである「ベレットGTR」が1969年に発売されます。

 同社のスペシャルティカー「117クーペ」の1.6リッター直4DOHCエンジンを搭載。最高出力120馬力を発揮し、最高速は190km/hにまで達しました。

 また、強化されたサスペンションと共に 高速安定性も向上させ、バランスの良い走りを実現。リミテッド・スリップデフを標準装備し、さまざまな路面で無駄なく駆動力をタイヤに伝えることができ、ベレットGTRは市販車としては高いポテンシャルの持ち主と評価されました。

 スタイルも厚みのあるボディと、小ぶりなキャビンが相まって、まるでイタリアのスポーティセダンを思わせる美しいデザインでした。

●日産「スカイラインGT-R」

伝説はここから始まった。初代「スカイラインGT-R」

 3代目にあたるC10型「スカイライン」、通称「ハコスカ」は1968年にプリンス自動車と合併した日産から発売され、同年追加された2リッター6気筒のL20型エンジン搭載車は、高性能なセダンとして人気となります。

 そして1969年に、さらに高性能でレース用エンジンの市販版ともいえる、量産車として世界初の2リッターDOHC4バブルの「S20型」エンジンを搭載した、初代「スカイラインGT-R」が誕生します。

 発売当初のスカイラインGT-Rは4ドアのみで、レースに勝つことを目的とし、装備も簡素化されたストイックな仕様でした。

 レースデビューは1969年からで、初陣では決勝で1位がペナルティにより降格し、スカイラインGT-Rが勝利を飾るという薄氷の勝負でしたが、後の通算52勝への第一歩となりました。

 ちなみに、当時のスカイラインGT-Rの新車価格は150万円で、これは「L20型」を搭載したスカイライン2000GTの2倍近い価格でした。

 そのころの富裕層はディーラーで「一番高いのをくれ」とオーダーする人も多く、よくわからずにスカイラインGT-Rを買ったものの、重たいクラッチやハンドル、うるさい室内に辟易してすぐ売ってしまったという逸話もあります。

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