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左ハンドルがステータスだった時代 懐かしの海外生産の日本車5選

くるまのニュース / 2019年8月22日 6時10分

かつて、輸入車として海外生産の日本車が注目された時期がありました。現在では海外生産の日本車が国内で販売されることも珍しくありませんが、以前は輸入車独特の雰囲気を残し、特別なクルマとして販売されていました。そこで、懐かしの海外生産の日本車5車種を紹介します。

■独自の魅力を持っていた輸入車としての日本車

 近年ではトヨタ「スープラ」や日産「マーチ」をはじめ、スポーツカーからコンパクトカーまで、海外で生産され日本へと輸入されるクルマも珍しくなくなりました。

 海外で生産をおこなう理由としては、生産コストの問題をはじめ、その車種がもっとも売れるエリアで大量生産したほうが効率的、などの理由があります。

 そこで、海外をおもな市場として発売され、その後日本にも輸入されることになった輸入日本車の先駆けともいえるクルマ5車種をピックアップして紹介したいと思います。

●三菱「エクリプス」

初代ほどシャープではないがアメリカンテイストあふれる2代目三菱「エクリプス」初代ほどシャープではないがアメリカンテイストあふれる2代目三菱「エクリプス」

 三菱「エクリプス」は、おもにアメリカ市場向けに企画され、アメリカで生産されたクルマです。

 ただしエクリプスの場合は、企画や生産をおこなったのが、三菱とクライスラーとの合弁によって設立された「ダイヤモンドスター・モーターズ(1985年設立、現三菱モーターズ・ノース・アメリカ)」であり、三菱だけではなくクライスラーの意向も反映された新規開発車であること。つまり「よりアメリカに近い日本車」ということが特徴です。

 エクリプス誕生の背景は、クライスラー、三菱ともに「北米市場で高い競争力を持つ、求めやすい価格のスポーツカーがほしい」と考えたところから始まります。

 この両社共通の目的のもと、当時の「ギャラン」をベースに開発されたのが初代エクリプスです。

 リトラクタブルヘッドライトのスポーティな外観と、ターボエンジン搭載や4WDモデルのラインアップにより、ライバルと比較して明確なアピールポイントを持っていました。

 結果として大きなヒットを飛ばすことになったモデルです。

 とくに三菱得意の4WDターボ「GSR-4」は圧倒的なパフォーマンスを誇り、日本のTVコマーシャルでも、静止状態から「4輪ホイールスピン」でダッシュする姿は鮮烈でした。

 初代エクリプスはアメリカ市場で1989年に発売され、日本では1990年に輸入が開始。その後1994年に発売された(日本への輸入は1995年から)2代目、2004年からオープン仕様のみ輸入された3代目まで日本で販売されていましたが、それ以降のモデルは日本に導入されていません。

●ホンダ「アコードクーペ」

リトラクタブルライトが似合うホンダ「アコードクーペ」リトラクタブルライトが似合うホンダ「アコードクーペ」

 ホンダは比較的早い時期から、海外での生産をおこなってきたメーカーです。2輪車では1979年、4輪車は1982年に、米オハイオ州メアリーズビル工場にて生産を開始していますが、クルマの現地生産第1号が「アコード」でした。

 そして、初代となる「アコードクーペ(CA6型)」は文字どおりアコードのクーペ版ですが、アメリカ国内での嗜好にあわせてボディ形状や装備、足まわりなどがホンダの現地法人によって変更されており、企画段階からアメリカンなクルマであったといえるでしょう。

 1988年に日本へ輸入され販売が開始されましたが、日本のアコードには存在しないクーペというボディ形状や左ハンドル仕様、BOSEサウンドシステム、クルーズコントロールを装備するなど、アメリカらしさを感じさせる華やかな1台でした。

 その後1990年には2代目、1994年には3代目へとモデルチェンジをおこないましたが、4代目以降は日本での販売は人気の低迷もあっておこなわれていません。

 なお、ホンダは1991年と1994年に「アコードワゴン」、1992年に「シビッククーペ」がアメリカから輸入され、発売しています。

●日産「ブルーバード オーズィー」

ステーションワゴンに近いフォルムだった日産「ブルーバード オーズィー」ステーションワゴンに近いフォルムだった日産「ブルーバード オーズィー」

 エクリプスやアコードクーペと比べるとマイナーな存在なのが、1991年に発売された日産「ブルーバード オーズイー」です。「オーズィー」という車名は「オーストラリアの」という意味を持つAussie(オージー)という英単語に由来します。

 ブルーバード オーズィーは、日産「ピンターラ」の名称にて現地で生産していたクルマで、日本の「ブルーバード(U12型)」をベースにしていたことから、日本での販売にあたっては「ブルーバード」の名称が用いられたものと思われます。

 日本仕様のブルーバードとの差はボディ形状で、通常のブルーバードは4ドアセダンでしたが、このブルーバード オーズィーはステーションワゴンに近い5ドアハッチバックです。

 ただし、当時の日本では5ドアハッチバックというボディ形状に馴染みが薄かったためか、販売台数はかなり少なかったようです。

 日産は後にも英国生産となる5ドアハッチバックのプリメーラを「プリメーラUK」として輸入していますので、日本市場でも5ドアハッチバックに勝機あり、と見ていたのかもしれません。

 なお、日産は1993年にオーストラリア工場を閉鎖し、ブルーバード オーズィーも生産が終了。その後他メーカーも相次いで撤退することになり、2017年にはオーストラリアに最後まで残ったGM(ホールデン)も生産を終了し、現在ではオーストラリアで生産されるクルマはゼロになってしまいました。

■トヨタ「カムリ クーペ」にスバル初のミニバン!?

●トヨタ「セプター」

セダンベースの大型クーペがカッコよかったトヨタ「セプター」(画像は北米仕様の「カムリ」)セダンベースの大型クーペがカッコよかったトヨタ「セプター」(画像は北米仕様の「カムリ」)

 トヨタ「セプター」は、アメリカ市場では「カムリ」として販売されていたクルマです。トヨタはホンダに遅れること2年、1984年からGMとの合弁で現地生産を開始した後、1988年にケンタッキー州に自社工場を建設し、そこでカムリの生産を開始しています。

 そして、トヨタはケンタッキー州で生産された北米カムリを日本でも販売しようとするも、すでに日本国内には国内専用モデルのカムリが存在。

 国内カムリと北米カムリを同じ名称で販売するのは混乱を招くので、北米カムリをセプターとして1992年に日本で販売します。

 なお、当時の国内カムリの全幅は1695mmで5ナンバーサイズでしたが、一方セプターの全幅は1770mmなので3ナンバーサイズ。

 かつ、この1770mmという幅は当時の日本車としてはかなり大きく、よってトヨタがこれらを別のクルマとして扱いたかったのも理解ができます。

 セプターにはセダン、クーペ、ワゴンが存在しますが、このうちセダンは日本で生産され、アメリカから輸入されたのはクーペとワゴンの2モデルのみです。

 セプターは、いずれのボディ形状でもアメリカ市場で好まれる曲線的なデザインで、シャープなラインを好む日本市場にはあまり受け入れられなかったのか、販売開始後わずか4年後の1996年には、販売を終了しています。

●スバル「トラヴィック」

欧州車の走行性能を持つミニバンだったスバル「トラヴィック」欧州車の走行性能を持つミニバンだったスバル「トラヴィック」

 スバル=ミニバンという印象は薄いかもしれませんが、そのスバルが2001年から2005年まで販売していたのが「トラヴィック」で、同社初のミニバンです。

 トラヴィックを日本へと輸入することになった経緯は、当時ミニバンブームにもかかわらずスバルはミニバンを持っていなかったこと、スバルと提携していたGMが、傘下にあるオペルのミニバン「ザフィーラ」を世界中で広く販売したかったことから、両者の思惑が一致したためだといわれています。

 そして、スバルとGMはザフィーラをベースにしたトラヴィックを生産することになりますが、このトラヴィックはGMのタイ工場にて生産されました。

 ドイツで企画開発されたクルマをタイで生産することによって、割安に販売するという計画となり、実際にトラヴィックの価格は、当時ヤナセが販売していたドイツ製のザフィーラと比較して、エンジンの排気量が大きいにも関わらず最大で100万円近く安い、200万円を切る販売価格を設定することが可能となりました。

 ザフィーラとの価格差によってトラヴィックは大きく販売を伸ばすと思われたものの、いざ販売を開始してみると割高なザフィーラともども売れ行きは鈍く、トラヴィックは販売開始3年後の2004年に販売を終了してしまいます。

 ベースがドイツ車ということで高い走行性能を持っていましたが、ザフィーラ自体がオペルのコンパクトカー「アストラ」をベースとしているため、ミニバンとしてはやや室内のスペースが狭かったことと、スバルのクルマであるのに、4WDも水平対向エンジンも採用していなかったことが、訴求力の低さにつながっていたのかもしれません。

 さらに、欧州では「ザフィーラとトラヴィックは同じクルマなのに、なんでザフィーラはこんなに高いのか(生産地の相違は問題視されなかった)」という問題が起こってしまうという、不運なクルマでした。

 オペルはというと2006年に日本市場から撤退し、その後2017年にはPSAグループに買収されてしまいました。

※ ※ ※

 日本の自動車メーカーが輸入した日本車は、いずれも異なる背景を持ち、それぞれの投入意図があったことがわかります。

 各車とも国産車にはない、個性的なクルマばかりでした。

 しかし、輸入車であることがステータスだった時代は時とともに影を潜め、いまでは単に海外生産の日本車というだけになってしまいました。

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