1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. IT
  4. ゲーム

『ドラクエIV』PSリメイク版で「賛否両論」巻き起こった理由 「悲劇回避」のシナリオなのにナゼ?

マグミクス / 2023年5月17日 21時25分

写真

■最も遠く、けれど誰よりも近くにいた勇者とピサロ

 ファミコンにRPGブームを起こした作品のひとつであり、今もなお多くのファンを抱えている『ドラゴンクエスト』シリーズ。最初期に展開したロト三部作の時点で、国民的な人気を集める話題作へと成長していました。

 そして、新たに幕を開けたのが「天空シリーズ」。その1作目を飾ったのが、ファミコンソフト『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』でした。本作は、オムニバス形式のゲーム進行や第5章のAI戦闘、馬車システムの導入など、シリーズ初の要素を多数用意し、新鮮な刺激を与えます。

 また、よりドラマチックになった物語も注目を集め、好評を博しました。特に、主人公である「勇者」と、悲しき暴走で我を失った「ピサロ」の関係性は、ユーザーたちの心を大きく揺さぶります。

 勧善懲悪では語れない『ドラクエIV』。そこには、勇者の怒りやピサロの憎しみ、切ない別れなど、さまざまな感情を刺激する展開が詰め込まれており、痛みも伴う物語が本作を忘れられない存在にしました。

 そんな『ドラクエIV』が、後にPlayStationソフトとしてリメイク。約9年の時を経て蘇っただけでなく、新たな物語が追加され、勇者とピサロの関係性に新たな道が示されます。しかも、ファミコン版では回避できなかった悲劇を乗り越える展開もあるなど、オリジナル版を遊んだ人にとって見逃せない新要素が満載でした。

 これで、切ない物語が報われる……と思いきや、リメイク版の追加シナリオについて、ファンの意見が大きく分かれます。悲劇を回避した物語が、なぜ賛否両論を招いたのか。その経緯と背景に迫ります。

 なお、本記事は『ドラクエIV』(リメイク版含む)のネタバレを含んでいるため、その点にご注意ください。

●戦う道しかなかったファミコン版

 まず、オリジナルにあたるファミコン版『ドラクエIV』のシナリオを簡単に紹介します。魔族の王・ピサロは、人間を滅ぼして世界を魔族のものにする野心を持っていました。そして世界征服を進めると同時に、野望を阻むと予言された勇者を見つけ、殺そうと企みます。

 プレイヤーの分身である勇者は、山奥の村で幼馴染の「シンシア」や村人たちと共に暮らしていました。勇者の旅立ちの日まで、魔族に見つからないようにひっそりと。しかしその願いも空しく、魔族が村を襲撃します。

 村人たちは、いずれ世界を救う勇者を守るため、身を挺して魔族に立ち向かいます。シンシアも勇者の姿に変身し、身代わりとなって絶命。この入れ替わりに気づかなかった魔族は、目的を達したと誤解して引き上げ、勇者は生き延びることができました。数多くの犠牲のおかげで……。

 絶望を突きつけられて始まった勇者の旅は、多くの仲間を得て、魔族と戦うだけの力を身に着けていきます。プレイヤーの心情としては、「世界を救う」という正しい行いだけでなく、「村のみんな、そしてシンシアの仇を討つ」といった復讐心を抱いた人も多かったでしょう。

 そんな旅の中で、ピサロが心を許したエルフの娘「ロザリー」と知り合います。彼女は、流した涙がルビーになる体質を持っており、そのせいで欲深な人間につけ狙われ、虐待を受けた過去を持っていました。

 その後、ロザリーは再び人間に捕まって命を落とし、この一件をきっかけにピサロは暴走。自らの身に「進化の秘法」を用いて、自我を失う破壊の権化に変貌し、もはや意志の疎通も適わぬ状態のまま勇者との最終決戦が幕を開けます。

 勇者にとってピサロは、シンシアや村人たちの仇であり、人間を滅さんとする存在。しかし、大事な人を奪われる悲しみは、勇者自身にも身に覚えがあります。憎い相手が、同じ悲しみを抱いていたと知り、善悪では割り切れない最終決戦に立ち向かう……この複雑な関係性が、プレイヤーの心に忘れがたい体験を刻みつけたのです。

■悲劇の回避を喜ぶか、解決されない問題にモヤモヤするか

グラフィックを含めパワーアップを遂げたPS版『ドラクエIV』。だが、追加シナリオは賛否が分かれる形に

●物語が分岐し、勇者とピサロに新たな道が開かれたPS版『ドラクエIV』

 ピサロに故郷を滅ぼされた勇者。人間にロザリーを殺されたピサロ。誰かを失う痛みを共に抱えながら、しかし戦い合うしかなかったふたり。この切ない物語に胸が締め付けられた後、しばらくしてからPlayStation向けに『ドラクエIV』がリメイクされ、ふたりの関係に異なる道が示されました。

 PS版『ドラクエIV』で追加された新シナリオは、ピサロとの最終決戦の前に物語が分岐。ロザリーの死に関する出来事に新たな要素が加わり、物語が新たな展開を辿(たど)ります。

 ロザリーを殺めたのは人間ですが、それを唆(そそのか)したのは、魔族のひとり「エビルプリースト」。この関係性はファミコン版でも描かれていましたが、PS版ではピサロを陥れるためにエビルプリーストが人間を利用したという背景が描かれます。

 そして、「世界樹の花」の効果で生き返ったロザリーのおかげで正気に戻ったピサロは、ロザリー殺害の元凶であるエビルプリーストを倒すため、勇者たちと力を合わせて最終決戦へ。無事エビルプリーストを討伐し、戦いに決着がつきました。

 人間の欲望によって殺されたロザリーは蘇り、我を失ったピサロは元に自分を取り戻し、再会を果たしたふたり。ファミコン版での悲しい別れを拭う、新たな結末を迎えました。また、ピサロと勇者の戦いもここで幕引きとなり、それぞれの道を歩み始めます。

●共闘してエビルプリーストを打倒するも、いくつもの問題が残されたまま

 悲劇は、文字通り悲しいもの。それが払拭されるのは、基本的には喜ばしいことです。しかし『ドラクエIV』のファンたちは、この結末を歓迎する者と、腑に落ちず納得しかねる者へと分かれました。

 悲しい出来事が覆されたのは嬉しい話です。しかし、元々ピサロは人間を憎んでいました。エビルプリーストが企んだロザリー殺しの件は、あくまで最後の一押しに過ぎず、この一件と人間全体に向けた敵意は無関係ではないものの、全ての理由でもありません。

 つまり、ロザリー殺しを招いた黒幕がエビルプリーストだと判明しても、本編でこれまでピサロが続けていた「人間を滅ぼす戦い」を辞める理由にはならないのです。

 もしかしたらピサロ自身が「大事な人を奪われる苦しさは、誰もが持つものだ」と遅まきながら知り、怒りや憎しみによる殺戮の虚しさに気づいたのかもしれません。ですが、人間全体への攻撃を止めた明確な描写が作中にないため、すっきりしないと感じるプレイヤーが少なくありません。

 また、すっきりしない理由は、勇者の側にもあります。ロザリーの一件は、エビルプリーストの手引きがあったとはいえ、人間の欲深さが招いた愚かな行為。そのため、ロザリーの復活やエビルプリースト打倒に動くのは勇者らしい行動ですし、一時的にピサロと手を組むのも分かります(ピサロをパーティに加えないとエビルプリーストと戦えない、といったゲーム的な制約もあり)。

 ですが、勇者の住んでいた村が壊滅し、シンシアが殺された件──勇者が旅立ち、戦いに身を投じる最大の要因となった出来事とロザリーの殺害は、まったくの無関係です。虐殺した張本人のピサロを、ロザリーの一件だけで許すのは、失ったものの大きさとあまりにも釣り合っていません。

 そして、ピサロの野心によって殺された人々は数多く、命を落とした者やその遺族は世界中にいます。ピサロが戦いをやめたとしても、それで彼ら彼女らが納得するかといえば、なかなか難しいところでしょう。

 エビルプリーストという共通の敵が立ちはだかったことで、勇者とピサロが一時的に共闘した追加シナリオ。ロザリーの復活と再会も相まって、長い戦いに終止符が打たれた雰囲気になったものの、ピサロ本来の野心や多すぎる被害者たちという問題には触れずに幕を閉じたため、賛否両論を招く結果となりました。

 確かに、悲劇はひとつでも少ない方が心情的に嬉しいもの。ロザリーが生き返ったこと、勇者とピサロの戦いが回避されたのは、喜ばしい点でしょう。しかし説明が足らず、一部の問題が棚上げになったと感じる人がいるのも確か。悲劇の回避を喜ぶか、未消化の問題が頭を過ぎるか。受け取り方次第で意見が分かれるのも、無理のない話です。

* * *

 ちなみに、これはファミコン版の頃からあった展開ですが、エンディングのラストで死んだはずのシンシアが登場する場面があります。生き返ったのか、それとも勇者が見た夢なのかは受け手の解釈次第ですが、勇者は「失ったはずの大事な人」を取り戻せた可能性があります。

 そのため筆者個人の意見としては、「……こっち(=勇者)も救われてしまってるしなぁ……」との思いから、ロザリーの復活やピサロとの再会を見守る派です。あなたは、リメイク版の追加シナリオを受け入れますか? それとも納得しかねる派ですか? この機会に改めて、『ドラクエIV』の物語を振り返ってみましょう。

(臥待)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください