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「MSV」発売40周年 アニメ未登場のガンプラが次々発売された理由は「出尽くし」だった?

マグミクス / 2023年8月11日 6時10分

「MSV」発売40周年 アニメ未登場のガンプラが次々発売された理由は「出尽くし」だった?

■「MSV」以前に土壌を作ったシリーズがあった

 1983年にガンダムシリーズのプラモデル、いわゆる「ガンプラ」として発売された「MSV(モビルスーツバリエーション)」は、今年で40周年となります。このMSVが生み出した影響が、その後のガンダムシリーズを生んだといっても過言ではありません。MSVの軌跡を振り返ります。

 1979年にTVアニメとして放送された『機動戦士ガンダム』は、放送当時はアニメファンだけが注目するような作品でしたが、口コミでその面白さが伝わり、後に劇場版三部作が製作されるほどの大きなヒット作品となります。

 このヒット作をブームにまで盛り上げた要因のひとつに、ガンプラがありました。それまでになかった統一スケールや敵メカの豊富なラインナップと、その新しさが当時の子供たちに受け入れられ、品不足になるほどの大ヒット商品となります。TV放送終了後というタイミングで発売されるというのも異例で、特徴的でした。

 本来ならばブームというものはいつか下火になるもの。ところがガンプラブームは思った以上に長く続き、逆に販売する商品のラインナップが枯渇するという展開となります。主力となるMSはスタンダードサイズの1/144で展開済みとなり、大型のもの以外は1/100でもほぼ出尽くしました。さらに戦艦などもほとんど出し尽くし、はてにサイド7といったものまで販売予定に入ることになります。

 現在ならば「Ver.2」といったリメイク商品も考えるのでしょうが、当時にはそういった発想はまだありません。そこでガンプラはアニメ本編に登場したメカにこだわらず、当時としては画期的な「アニメには出てこないMS」の商品化に踏み切りました。ただし、いきなりそこに至るのではなく、ソフトランディングするかのような商品展開となります。

 まず1982年2月から販売された「1/100リアルタイプシリーズ」。従来のアニメ彩色とは異なり、大河原邦男さんが描くイラストをもとにした色変え商品です。これと並行してラインナップされた1/100商品である旧ザク(1982年7月発売)では、放送後、新たに設定された専用マシンガンを付属した商品として当時は話題になりました。それは、旧ザクには武器がないというのが当時の通説だったからです。

 そして、1982年7月からガンプラとして販売を開始したのが、アッグ、アッグガイ、ジュアッグ、ゾゴックといった「未登場モビルスーツ」でした。本来ならばボツメカとして陽の目を浴びることのない存在でしたが、当時のガンダムブームの折に発売された「機動戦士ガンダム記録全集」で公開されたことで、知る人も少なくなかったMSです。このボツメカをプラモ用として大河原さんが新たにデザインしました。

 こういった流れのなか、1983年4月からMSVのガンプラは販売されることになります。それではこのMSVは、どういった経緯で誕生することになったのでしょうか?

■MSV誕生に影響を与えた書籍展開

ジオン系MSV機体のひとつ、「グフ飛行試験型 」を再現した、「1/144 グフ飛行試験型 (MSV)」(BANDAI SPIRITS)

 MSVは急に企画されたものではありません。いくつかの経緯で生み出されたデザインのMSが、結果的にひとつにまとまって誕生したものです。

 最初のMSVとなるのが、1981年5月に発売された講談社の書籍「劇場版 機動戦士ガンダム アニメグラフブック」で発表された湿地帯用ザク、砲撃戦用ザク(後のザクキャノン)、水中型ザク(後の水中用ザク)、砂漠戦用ザク(後のザクデザートタイプ)の4機でした。

 この書籍のシリーズでグフとドムの中間機(後のYMS-08A 高機動型試作機)や、ジオング完成型(後のパーフェクトジオング)のイラストなども発表されて話題になりました。市販のガンプラを改造して、こういったデザインを立体化する人も少なくなく、模型雑誌などで発表するモデラーも現れます。

 この流れとは別に、1981年9月に発売されたみのり書房の書籍「GUNDAM CENTURY」も、大きな影響を当時のファンに与えました。SFやミリタリー要素の側面からガンダムを解説した本で、現在のオフィシャル設定となる事柄がいくつも掲載されています。

 前述の「アニメグラフブック」のように目立った描き下ろしイラストはありませんが、とにかく文字設定は後のガンダムブックのバイブルとも呼べる存在でした。そして、この書籍で文字設定として発表されたのが、後にMSVの顔となる「高機動型ザクII(MS-06R)」です。

 こういった後付け設定がひとつにまとまっていったことがMSV誕生へとむすびつくのでした。そのきっかけとなったひとつが1981年11月に創刊した講談社の子供向け雑誌「コミックボンボン」です。ここで「アニメグラフブック」を引き継いだ形で大河原さんが毎号、新しいデザインを発表したことも大きく影響します。

 この他にもバンダイで発行していた小冊子「模型情報」、模型雑誌「ホビージャパン」の作例もコンテンツの構築に一役買いました。しかし、もっとも大きな役割を果たしたのが「ボンボン」で連載を開始した『プラモ狂四郎』だったと思います。『プラモ狂四郎』の人気は、ガンプラのそれと相乗効果でブームを盛り上げました。

 こうした土壌形成の結果、MSVのガンプラは順調なスタートを切り、ガンプラブームは更なる飛躍を遂げることとなります。MSVの展開は停滞するかに思われたガンプラ市場の活性化につながり、新作アニメとなる『機動戦士Zガンダム』までの空白期間を埋めるのに十分な役割を果たしました。

 このMSVにより、アニメにしなくてもガンプラは売れることを証明したわけです。映像になっていない商品の販売は今では当たり前となっていますが、当時としては画期的な販売戦略でした。そして、MSVの好調がさらなるTVシリーズの呼び水となって、『Zガンダム』という続編が生まれるきっかけとなります。

 つまり、ガンダムという作品が単なる作品の名前だけにとどまることなく、シリーズとして現在まで通用するタイトルとなった功績の一端はMSVにあると考えられるでしょう。それほどまでにMSVが広げた可能性は大きなものだったと言えるのかもしれません。

(加々美利治)

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