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『ベルサイユのばら』の裏で勃発した「香水バトル」。宮殿はケモノ臭に満ちていた…?

マグミクス / 2021年1月24日 17時20分

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■「王太子妃VS王の愛人」のバトルが焦点に

 昨年、瑛人さんの「香水」がヒットし、初めて、あるいは改めて香水を手に取った方も多かったのではないでしょうか? 名作マンガ『ベルサイユのばら』の舞台、ベルサイユ宮殿では、この香水をめぐって、「女の戦い」が勃発していました。バトルの主役は、悲劇の女王マリー・アントワネットとルイ15世の愛人デュ・バリー夫人です。

 実は「ニオイ」が問題化していた歴史上のベルサイユ宮殿に、どのような香りの革命が起こったのか、ふたりの「女の戦い」から見ていきましょう。

 マリー・アントワネットがフランスの王太子ルイ16世のもとに嫁いだのは1770年、彼女が14歳のときのことです。可憐で美しい、魅力的な少女は、たちまち貴族はもとより国民たちの心もとらえたのでした。

 そんなマリー・アントワネットとデュ・バリー夫人の「女の戦い」の第1ラウンドは、マンガにも描かれている「お声がけバトル」です。

 当時、ベルサイユでは、公式の場で身分の低い婦人から、自分よりも身分の高い婦人に声をかけることは許されていませんでした。王妃がすでに亡くなっていたため、女性の最高位は王太子妃であるマリー・アントワネットであり、みんな、彼女から声を掛けられるのをただじっと待つしかありませんでした。

 マンガ『ベルサイユのばら』の作中では、宮廷での王太子妃お披露目のパーティで人びとが注目するなか、マリー・アントワネットは男装の麗人オスカルに最初に声をかけ、デュ・バリー夫人が元娼婦であることを知ると嫌悪感をあらわにし、徹底的に彼女を無視し続けたのです。

 しかしそのことが国王ルイ15世の怒りを買い、フランスとオーストリアの同盟をもおびやかす大問題に発展。マリー・アントワネットは渋々、母マリアテレジアの忠告に従い、ついにデュ・バリー伯爵夫人に声をかけました。「きょうは、ベルサイユはたいへんな人ですこと。」と。こうして、女の戦いの第1ラウンドは、デュ・バリー伯爵夫人の勝利となりました。

 史実でも、マリー・アントワネットは娼婦や愛妾を嫌い、デュ・バリー伯爵夫人の出自の悪さや存在を徹底的に憎んでいたと言われています。

 第2ラウンドは、マンガには描かれていない、『ベルばら』の舞台裏で起こった香水バトルです。

■宮殿に漂うケモノ臭を一掃した、マリー・アントワネットの香水

パリ郊外に現存する、世界遺産「ベルサイユ宮殿」(画像:写真AC)

 中世のヨーロッパでは、お風呂に入ると毛穴が広がり、そこから病原菌が体に入り込み病気にかかると考えられていました。風呂に入ると早死にする、垢は髪の毛を育てる、長生きしたければ、皮膚をおおっている油分を落とすな……と言われ、体臭のきつい人は性的能力が強いと信じられていました。

 それは王侯貴族の間でも同じで、贅の限りが尽くされたベルサイユ宮殿でも、人の体臭に劣悪なトイレ事情による臭いが加わり、それをごまかすために強烈な香水が使われていました。

 ベルサイユ宮殿では、ルイ15世の歴代の愛妾、ポンパドゥール夫人は麝香(じゃこう=ムスク。ジャコウジカの雄の生殖腺分泌体から採取する、高価な動物性香料)を好み、デュ・バリー夫人は竜涎香(りゅうぜんこう=アンバーグリス。マッコウクジラの腸内に発生する結石からつくる香料)を好みました。いずれも動物性の香料だったため、いわゆる官能的で、あとを引く香りです。

 一方のマリー・アントワネットが好んで身に着けていたのは、バラやスミレ、ジャスミン、アイリス、パチュリーといった植物由来の爽やかで軽い香りの香水。オーストリア宮廷では入浴の習慣があったため、強い香りで体臭を隠す必要はなく、純粋に香りを楽しむために入浴後の体に香水を使ったのです。

 単一的で重苦しい動物性の香水の香りに辟易としていた人びとは、マリー・アントワネットの香水に心奪われ、こぞって真似をするようになりました。その後、マリー・アントワネットのヘアスタイルやドレスは女性たちのあこがれの的となり、ファッションリーダーとしても影響力を増していき、マリー・アントワネットとデュ・バリー夫人の「女の戦い」第2ラウンドは、マリー・アントワネットの完全勝利となったのです。

 しかし、この「香水バトル」のエピソードには、悲しい後日談があります。1791年6月20日の深夜、国王一家が革命にわくフランスから国外逃亡を図ったとされるヴァレンヌ逃亡事件で、アントワネットのつけていた香水のエレガントで高級な香りのせいで、国王一家の正体がバレたと言われているのです。

 その2年後の1793年10月16日、マリー・アントワネットは、パリのコンコルド広場で断頭台の露と消えますが、彼女は最期の時まで、王妃の頃から愛用していたウビガンの香水の小瓶3本を胴衣に忍ばせていたといいます。

 王妃の地位も、家族も、美しくゆたかな髪も、きらびやかなドレスも、すべてを失ったマリー・アントワネットにとって、香水の香りだけが過ぎ去った美しい日々を思い出させたのかもしれません。香りの思い出は、いつの時代も甘く、そして切ないものなのでしょう。

(山田晃子)

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