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昭和初期のリッチな村 フィルムに残る繁栄の記憶 奈良・上北山

毎日新聞 / 2025年1月11日 14時0分

上北山村の昭和3年の様子を記録したフィルム=上北山村で2024年11月9日午後0時20分、川畑岳志撮影

 大正時代に建てられた瀟洒(しょうしゃ)な洋館は、玄関前の噴水が放物線を描き涼しげだ。立派なボンネットを構えた米国車「ビュイック」が村内を走り回っている。オープンテラスのような造りの飲食店では、着物にカンカン帽の紳士がかっぽう着姿の女性に昼間からビールをついでもらって朗らかな表情を浮かべている。映画館もある。1928(昭和3)年の奈良県上北山村は活気があり、リッチだった。洋館は村役場だ。

 79(昭和54)年に発見された35ミリフィルムを村教委が昨年、4Kデジタル化すると、当時の同村河合の町並みや暮らしぶりが鮮やかによみがえった。フィルムは村教委が所有。だれがなんのために撮影したのか、記録は残っていない。「お金もかかったはず。それでも村の様子を残したいと思ったのではないか」と担当者は推測している。

 村に繁栄をもたらしたのは林業だった。吉野川流域では昔から林業が盛んで、県によると、昭和初期には酒だるに使う木材の生産が全盛だったという。吉野林業というと、川上村や東吉野村、黒滝村が有名だが、上北山村でも盛んだった。山室潔村長によると、当時は白川又原生林で伐採した木材を三重県尾鷲市に送っていたという。

 村史で35(昭和10)年の職業別世帯数を見ると、全580世帯のうち「農業」が379世帯と65%を占めた。続くページに「古来耕地面積僅少にして米は殆(ほとん)ど輸入、畑は居住民日常生活に必要な分を満たすに過ぎない」とある。「農業」といっても、実態は林業だ。人口は3865人と多かった。2020年の国勢調査で人口は444人。8分の1以下に縮んだ。高齢化率(人口に占める65歳以上の割合)も50%を超えている。

 村の林業は高度経済成長期ごろまで隆盛が続いた。52(昭和27)年生まれの山室村長も「山を持っている人は胸を反らして肩で風を切って歩いていた」と幼いころの記憶を振り返る。「小学生の同級生が30人弱いたが、いつの間にか1人とか2人とかになっていた」。今となっては映画館どころか飲み屋も一軒もない。

 昭和改元以降の100年間で変わったのは産業だけではない。発電のための巨大な池原ダムが64(昭和39)年に完成した。湛水面積843ヘクタール、総貯水容量3億3840万立方メートル。いずれもアーチダムとしては国内最大だ。河合地区は数メートルかさ上げされ、国道169号は川沿いに移設。村の風景は一変した。

 「私の世代と今の子どもたちとでは、村の原風景と言われてイメージする景色が違う」と山室村長も少し寂しそうな表情を見せた。ダムの完成で人口減少に拍車がかかった。

 こうして先細っていく現状を打開するには移住者を呼び込む必要がある。そう判断して村は学校給食の無料化など、子育て支援策を実施してきたが、人口減少は止まらない。諦めムードも漂っている。山室村長は「結局は自治体同士の人の取り合い。消耗戦になっている。財政規模の大きな都市部以上の条件は出せない」と話す。

 村長は「住民の幸福感」に焦点を当てるべきではないかと考え始めている。規模を追わず、豊かな森と水に恵まれたコンパクトな村なりの豊かさ、幸福があるのではないか。昨年11月9日にあったフィルム上映会の後、「当時は木材という売る物があったから経済が回っていた。今、村にそういったものがあるのかと言われても悩んでしまう。これからどないしていくんでしょうね」とこぼした。山の村の模索が続いている。【川畑岳志】

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