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1950年からヘビーピートにこだわり続ける若鶴酒造、ウイスキー最新作「三郎丸IV」はハイランドピートでクリア&スモーキー

マイナビニュース / 2024年6月23日 17時9分

画像提供:マイナビニュース

若鶴酒造は6月21日、三郎丸蒸留所の東京レセプションメディア発表会を開催。シングルモルトウイスキーの最新作「三郎丸IV THE EMPEROR」を6月27日に発売することを発表した。

三郎丸蒸留所は1950年からスモーキーなウイスキーを作り続けており、コンセプトは「The Ultimate Peat(ピートを極める)」と筋金入りだ。火災からの復旧や大規模改修を経て、2020年からシングルモルトシリーズ「三郎丸」を販売している。1本目がナンバリング「0」なので、今回の「IV」は5製品目となる。

まずは三郎丸蒸留所の紹介から。かつて、日本のウイスキー蒸留所は2015年時点で全国に10カ所と、あまり存在しなかった。三郎丸蒸留所も北陸唯一の蒸留所だったのだが、昨今のウイスキーブームを受けて、現在(2024年6月時点)は稼働予定も入れれば100以上の蒸留所がある。そのため、三郎丸蒸留所は北陸「最古」のウイスキー蒸留所と名乗ることにしたそうだ。

創業は文久2年(1862年)と古い。もちろん、当初は日本酒を作っており、ウイスキーを手がけ始めたのは戦後のこと。当時、米が枯渇して日本酒が作れない状況になったことから、現在の代表取締役CEO、稲垣貴彦氏の曽祖父である稲垣小太郎氏が蒸留酒の研究を始めたという。

1950年当時、ウイスキーは雑酒としてカテゴライズされていたので雑酒の製造免許を取得し、ウイスキー作りをスタートさせた。1952年に酒税法が改正され、ウイスキーの製造免許ができるとそれも取得。そしてウイスキーを作り始めて3年、1953年に「サンシャインウイスキー」を発売した。4月に発売したのだが、5月に火災が発生して施設が全焼。しかし、地元の助けを借りて半年もかからずに復興した。

現在の稲垣貴彦CEOは若鶴酒造の5代目。大学の卒業後はIT企業に勤務していたが、2015年に富山に戻った。そのとき、曽祖父が作ったウイスキー(三郎丸1960の原酒、1960年蒸留)を飲んで感動し、ウイスキー作りを引き継ごうと思ったという。

しかし、蒸留所の設備や建物は老朽化しており、このままではウイスキー作りを続けることは難しいと考え、改修することにした。当時はまだメジャーではなかったクラウドファンディングに挑戦。3,800万円を超える支援を集め、蒸留所を生まれ変わらせた。

新しい蒸留所は見学もできるようにして、日本全国に加えて海外からも人が訪れるように。以前は年間で1万人前後だった見学者は、コロナ禍でいったんは少なくなったものの、2023年には2万8,500人と、コロナ禍以前と比べて約3倍にもなっている。

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