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写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第45回 【茂吉】文字と文字盤(2) どこにもなかった文字

マイナビニュース / 2024年7月9日 12時0分

[注3]「活版及活版印刷動向座談会」『印刷雑誌』1935年5月号、印刷雑誌社、1935 pp.19-20、また、1962年 (昭和37) に掲載された『季刊プリント1』の座談会「書体設計者はパイオニアの精神で……」でも〈私の文字は始めからこういう文字を作りたいという意図でもって、出発したわけではないのです (後略) 〉と語っている。「書体設計者はパイオニアの精神で……」『季刊プリント1』印刷出版研究所、1962.3 p.27

[注4] ベントン彫刻機:活版印刷にもちいる活字を量産するための型を彫刻する機械。アメリカのリン・ボイド・ベントン (Linn Boyd Benton 1844-1932) がもともとは父型を彫刻するための機械として1885年 (明治18) に考案し、1906年 (明治39) 、母型も直接彫ることができる改良型ベントン彫刻機の特許が登録された。日本では印刷局が1912年 (明治45) にアメリカン・タイプ・ファウンダース (ATF=American Type Founders) から母型彫刻機として輸入。戦前、日本では印刷局、東京築地活版製造所、出版社の三省堂の3者しかもっていなかったが、1948年 (昭和23) 、大日本印刷が三省堂の協力を得、津上製作所に製作させた国産機が完成。1949年 (昭和24) より一般販売され、新聞社や母型製造会社、印刷会社などに普及した。(雪朱里『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』三省堂、2021)

[注5] 1928年 (昭和3) の時点で印刷用書体の拡大原字を描いていたのは、日本で戦前にアメリカのベントン彫刻機を導入していた印刷局、東京築地活版製造所、三省堂の3者ぐらいではないか。 (雪朱里『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』三省堂、2021)

[注6] 『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969 p.103

【おもな参考文献】
『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969
「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975
馬渡力 編『写真植字機五十年』モリサワ、1974
「書体設計者はパイオニアの精神で……」『季刊プリント1』印刷出版研究所、1962.3
「活版及活版印刷動向座談会」『印刷雑誌』1935年5月号、印刷雑誌社、1935.5
倭草生「写真植字機の大発明完成す」『実業之日本』昭和6年10月号、実業之日本社、1931

【資料協力】株式会社写研、株式会社モリサワ、株式会社イワタ
※特記のない写真は筆者撮影
(雪朱里)



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