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窓辺の小石 第181回 誰が太ってる?

マイナビニュース / 2024年8月30日 14時37分

どうして制限が付けられたのかについては明らかになっていないが、1990年台から2000年台前半まで、ストレージデバイスやファイルシステム、ストレージ・インターフェース、BIOSは激変の時代だった。

というのも、PCが普及するにつれ、メーカー独自だったハードディスク・インターフェースがIDE、ATAと統一され、大容量化が進む。それに応じて、PC側は、BIOS/ファームウェアの変更やファイルシステムの発達が起こる。しかし、当時は、Windowsのアップデートは3年単位だった。1995年あたりまでは、BIOSは書き換え不可能なマスクROMか、紫外線で消去するEPROMなどで提供されて、ユーザーが簡単には書き換えることもできなかったし、アップデートもほとんど提供されていなかった。

PCの起動はBIOSが行うためハードディスクはBIOSから認識される必要があり、新しい技術を使うハードディスクには、新しいBIOSを搭載した新しいPCが必要な時期が続いた。このため、ハードディスクが急速に進歩しても、市場にある多くのPCが対応できないという状況が続く。これにより市場には、さまざまなハードディスク技術やBIOSなどが混在する状況だった。

そもそも、FAT32が最初に搭載されたのは、1996年のWindows 95 OSR2から。この頃使われていたパーティションテーブルは、現在MBRパーティションテーブルと呼ばれるもので、1つのパーティションはセクタ数が2の32乗個(512バイト/セクタで2テラバイト)までだった。これが拡大されるには、BIOSがUEFIとなり、WindowsがGPT(GUIDパーティションテーブル)対応になってからだ。GPTは、IA-64向けに開発されたが、一般向けのWindowsでGPTが利用可能になったのは、x64版Windows Vista SP1(2007年)以降である。

FATでは、テーブル全体をメモリ内に置くことで高速化が可能なのだが、容量が大きくなると比例してテーブルが大きくなる。32ギガバイトのFAT32では、テーブルサイズが16メガバイトになる。当時のメインメモリはメガバイト単位、Windows 2000のシステム要件は、最小32メガバイト、最大4ギガバイトとされていた。32ギガバイト以上では、テーブルサイズが当時のメインメモリに対してあまりに大きすぎる。もちろん、Windows 98などの当時のコンシューマー向けWindowsに対しても大きすぎるスペックだ。

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