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どこでもサイエンス 第294回 これまでの万博の科学技術なレガシー

マイナビニュース / 2024年10月30日 9時59分

交通では地下鉄御堂筋線が万博会場近くまで延伸し、それがいまでも大阪の基幹路線になり、最近さらに延伸して郊外のアクセスがよくなりました。また、会場内アクセスのモノレールはいったんなくなったのですが、新たに世界最長クラスのモノレールが大阪の北西にある大阪空港から、万博会場跡の公園を通って、大阪の南東まで、大阪市を取り囲む半環状線みたいに伸びています。知っているとなかなか便利な路線です。

また、いくつかの建物については再利用をされています。鉄鋼館はそのまま万博を記念する展示施設となっています。また万博公園事務所は当時の万博の本部建物を利用し続けていますが、さすがに古くなりまもなく取り壊しとのことです。

またパビリオンの建築技術も競われ、とりわけ富士グループ・パビリオンとアメリカ・パビリオンに使われた巨大なテントドームは、東京ドームに応用されるなどテントが恒久建築になる流れを作りました。
1970年万博のレガシー 展示されたもののインパクト

1970年万博では、様々な展示物が話題になりました。

最大の呼び物はアメリカ館が展示した「月の石」です。アポロ12号が持ち帰ったものをすぐに展示したもので、アポロによる月着陸フィーバー(1969年)の熱気がすぐに見られるというのが良かったのでしょうね(月の石の展示そのものは、先行してあったが、ここまでのフィーバーにはならなかった)。

このころ日本はようやく初めての人工衛星「おおすみ」を成功させたところでしたが、ソ連館も宇宙展示を大々的にしており、これらがあわさって、宇宙への憧れを「リアルなもの」として強く人々の心に刻み込んでいます。その後、日本が宇宙探査や開発で活躍していく後押しになったのは間違いないでしょう。

また、人気だったのは、サンヨー館が展示した「人間洗濯機」です。実際にスタッフが選択されるというデモンストレーションが行われ、水着の女性が目の前にいるというのにウブな少年たちがびっくりしたってな話もあります。まあ発想とネーミングの勝利ですね。サンヨーはその後も洗濯機ではトップランナーだったわけですが、人間洗濯機は普及したとは言えません。医療用や介護用に一部応用されている部分はあるものの、インパクトが残るという展示だったのでしょう。

他に人気としてあげられるのが、日立館のフライトシミュレーターです。これは飛行機の操縦をモニターテレビを見ながら行えるというもので、子供たちに特に人気だったということです。ただ、いわゆるCGを使ったフライトシミュレーターはアメリカのCGの始祖E&S社が1973年に販売したNOVOVIEWが元祖だとされています。日立館のものは、ミニチュアの模型の中に、ビデオカメラを置き、そのカメラを操縦桿の操作で動かすことで、飛行機の動きのように見せたというものでした。

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