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写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第55回 【茂吉と信夫】発明博覧会――写植機、一般社会へ

マイナビニュース / 2024年12月3日 12時0分

邦文写真植字機は、この動力館に展示された。与えられたスペースは2坪。ほかには、浜田印刷機製造所・浜田初次郎の四六半裁フィーダー付きオフセット輪転印刷機や、中馬鉄工所の二回転凸版印刷機、そのほか製本機械や青写真印刷機械などが並んだ。もちろん印刷関連機械に限らず、冷凍機や製麺機、加熱電気炉といったさまざまな機械がこの動力館に集められた。 [注3]

○充実のパンフレット

写真植字機研究所は、邦文写真植字機を動かし信夫みずから実演説明をするほか、小型映画を映写して、映画字幕に写真植字が使われていることもおおいに宣伝した。 [注4]

はじめはパンフレットをつくらず、口頭で機械の説明をしていたが、日々多くの来場者がやって来て、驚きと賞賛とともに写真植字機を見ていく。その多くの人々から「くわしい説明書があれば送ってほしい」と熱望されることが相次ぎ、茂吉は急遽、パンフレットを制作した。全16ページのりっぱなものだ。印刷は日清印刷にたのんだ。

使用されている書体は明朝体、ゴシック体、楷書体。レンズによる大小変化の見本もつけた。飾り罫や地紋の見本も収録。説明文は組み見本の役割も果たした。

ひとつ残念だったのは、茂吉が1930年 (昭和5)ごろから取り組んでいたあたらしい明朝体 (のちの石井中明朝体) がまにあわなかったことだ。文字盤の完成まであと一息だったが、発明博覧会の会期中に急いでパンフレットを作成する必要があったため、すぐにつかえる現行明朝体 (仮作明朝体) で組まざるを得なかった。茂吉は、パンフレットの最後にこんな文章を載せている。

〈現明朝体文字盤 (本文植字のもの) 完成後、印刷界有識者数氏の御批判と御教示により、更に改良を加へたる新明朝文字盤が殆ど完成し、旬日後には新明朝による植字が出来るやうになり、本説明書に一段の光彩を添へるのでありますが、発明博の関係で取り急ぎましたため間に合はなかったのは遺憾であります〉 [注5]

営業科目には、つぎの4つを掲げた。

一、邦文写真植字機の製作
一、写真植字原版ならびに印刷製版の供給
一、写真植字による印刷物の引受
一、映画字幕の製作
[注6]

写真植字機は、数多くの出品物のなかで呼び物となり、会期中の4月18日、ほかのいくつかの機械とともに、発明博覧会の注目発明として東京朝日新聞に取り上げられた。 [注7]

○一般社会へのデビュー

発明博覧会では、会期中に審査がおこなわれ、出品者のうち優れたものにつぎの3種の褒賞があたえられることになっていた。

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