写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第57回 【茂吉と信夫】底の見えない溝
マイナビニュース / 2025年1月7日 12時0分
フォントを語る上で避けては通れない「写研」と「モリサワ」。両社の共同開発により、写研書体のOpenTypeフォント化が進められています。リリース開始の2024年が、邦文写植機発明100周年にあたることを背景として、写研の創業者・石井茂吉とモリサワの創業者・森澤信夫が歩んできた歴史を、フォントやデザインに造詣の深い雪朱里さんが紐解いていきます。(編集部)
○信夫の怒り
海図専用写真植字機の図面がだいぶ進んだある日、信夫はひとりで海軍水路部を訪ねた。すると信夫の前にやってきた担当者が、横柄な態度でこう言った。
「先般、石井くんが来て、いま助手に設計させているから、近日中に図面をもってくると言っていたが、できているかね」
信夫が眉をひそめて
「助手とはだれのことですか?」
と聞くと、相手はいささか意外といった面持ちで、しかし横柄な態度は崩さずに答えた。
「もちろん、きみのことだよ」
その言葉を聞くなり、信夫はなにも言わずくるりと踵を返して、そのまま写真植字機研究所の工場に帰った。その場ではこらえたが、腹のなかは煮えくり返っていた。
工場に戻るなり、信夫はほとんど完成していた設計図を取り出し、工場の隅にある火造場に放りこんで燃やしてしまった。彼のただならぬ剣幕に、工場にいたひとびとは「いったい、なにがあったのか」と驚いた。
ところが信夫と入れ違いに海軍水路部に行った茂吉は、そんなこととはつゆ知らず、「明日、図面を持参します」と約束して帰ってきた。
その翌日、ふたりで海軍水路部に出かけようとしたときに、信夫が図面を持っていないことに気づいた茂吉は声をかけた。
「森澤くん、図面を持っていかなくては」
「図面なら、昨日ぜんぶ焼いてしまった」
「えっ!」
これにはさすがの茂吉も茫然とした顔つきで絶句したが、とにかく約束しているのだからとふたりで水路部に向かった。
担当者が現れると、信夫は言った。
「私は石井さんの助手ではありません。発明考案者に礼を失するような方のために、仕事をすることはできません。石井さんはりっぱな工学士ですから、石井さんにやってもらってください。それでは、失礼いたします」
一気に話し終えると、信夫はひとりで先に帰ってしまった。
おさまらないのは海軍水路部の担当者である。軍の依頼に対して信夫がとった態度に激怒した。
「森澤にあんな啖呵を切られたままでは、軍の面子が丸つぶれだ。石井、なにがなんでもおまえが仕上げろ!」
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