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チャリティ王の世界地図 - ふるまい よしこ 中国 風見鶏便り

ニューズウィーク日本版 / 2014年1月13日 21時31分

 そこでショウが展開したのはビジネスだけではなかった。実際のところ、わたしはテレビやメディアでその名前を見るよりも、街で彼の中国名「邵逸夫」に触れることのほうが多かった。通りがかった学校、当時通っていた大学のホール、大好きなアートセンターの劇場、2階建てバスの窓から目にした小学校だか中学校だかわからない校舎...と、あちこちに「逸夫楼」「逸夫図書館」「逸夫学校」という名前があふれていた。1975年にショウが設立した「香港邵氏基金」の寄付は実は香港のみならず、台湾やシンガポール、マレーシア、さらにはサンフランシスコやロンドンなど世界の華人が暮らす街に及び、また1985年からは中国国内でも同様の寄付を行ってきた。その総額はなんと100億香港ドル(現在のレートで約1350億円)を超えているという。

 経済誌『新世紀』を発行するメディアグループ財新のサイトに掲載された経済アナリストのブログによると、中国といえば汚職が気になるところだが、香港邵氏基金は建築予定の医療や教育建築物の所有者に対して、基金の出資1に対して同額かそれ以上の出資を要求するという支援方法を採ってきた。相手が大学の場合は基金からの資金1に対して3以上の出資を求める。そうして建設されたビルには「逸夫」の名前が被せられ、またこうすることで出資した資金が個人の懐に入るのを防ぐことができ、また寄付を受ける側も本気を出すのだそうだ。ビジネスにも応用できそうな、なかなか賢いやり方である。

 こうやって建設された「逸夫ビル」は中国国内だけでなんと5,200棟以上あるという。「ランラン・ショウ死去」のニュースを聞いたネットユーザーが、身近な「逸夫ビル」の写真を微博に上げるよう呼びかけたところ、地図はこんなふうに塗りつぶされてしまった。



 これを見ると、香港人にとっては「エンターテイメント界のドン」だったショウは、ショウ・ブラザーズの映画が輸入されることがなかった中国の人たちには直接、「チャリティ事業のドン」として受け止められているのだろう。誰もがどこかで目にしていた「逸夫ビル」を実際に集めてみるとこんな規模になるということに、今回初めて気がついた中国人も多かったはずだ。それだけ、「邵逸夫」の名前は静かに、本当に静かに、中国に浸透してきたのだった。

 一方で、自らを「中国で最も影響力を持つ」「全国地震災害救済英雄模範」「中国道徳模範」と喧伝する人物もいる。ショウが亡くなったちょうどその頃、アメリカで「『ニューヨーク・タイムズ』を買い取る」と豪語した、リサイクル会社社長の陳光標氏だ。彼の名刺を受け取ったアメリカ人記者は、そこにずらりと並ぶ10個もの自画自賛にびっくり仰天し、この話題はそのままニュースとして配信された。

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