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人間に焦点を当てたサントリー"社史"に心をつかまれる

ニューズウィーク日本版 / 2015年8月7日 19時45分

 なにしろ、食道がんであることを知らされないまま入院中だった開高に対し、自分がつくってきた高麗人参スープを飲もうとしなかったことから感情を爆発させ、「あんた病院にだまされてるんや。これ飲まな、がん治りゃせんで!」といい放ってしまったり(それは鬱を抱えた開高にとって、大きなダメージとなった)、佐治に対しても「サントリーのおかげで食道がんになったようなもんや!」といってのけた人だ。

 しかし牧はそれ以前、つまり開高が職にあぶれていたころ、学生にして父親になってしまった夫をなんとかしようと尽力してもいる。


 開高が生活難で苦しんでいるころ、(中略)寿屋に戻っていた牧が愁訴してきた。
「ミルク代が足りまへんねん。何とかなりまへんやろか」
 夫の開高に、何かバイト仕事はないかというのである。(252ページより)




 敬三は以前、牧が一冊の同人誌をもってきて、
「この雑誌の編集後記を書いている男と、私結婚しましてん」
とうれしそうに報告してきたことを思い出した。
「ほんならあんたの旦那に宣伝文を書いてもらおか。場合によっては、あんたとトレードしようやないか」
 敬三はそんな冗談口を叩きながら、ためしにラジオCMの原稿を依頼することにした。(253ページより)



 いうまでもなく、「寿屋の開高健」の誕生前夜である。つまりこの描写を見ても、牧が「縁の下の力持ち」であったことは否定できないのだ。たしかに「私が開高を養ってきた」という自我は大きすぎ、それが作家を苦しめることになったのも事実だ。それどころか、開高の死後には娘の道子が自殺し、牧本人も謎の死を遂げるのだから結末は悲しすぎる。

 しかし、だからといって「牧=悪妻」と決めつけられない些細な理由が私のなかにはある。

 1972年の夏、ちょうどいまくらいの時期に我が家を訪れる客があった。母が玄関を開けると、そこに立っていたのは大きなシャクヤクの花束を抱えた牧羊子だった。

 小学4年生だった私は、その年の春に交通事故に遭って「3週間意識不明」というどん詰まりの状態からマンガのように回復し、数ヶ月ぶりに退院したばかりだった。亡父は開高とも交流を持つ編集者だったので、牧は快気祝いに訪れてくれたのだった。

 もちろん、子どもだった私にとっては「ただの知らないおばさん」だったから、曖昧な笑みを浮かべていることしかできなかったが、笑顔で「よろしゅおましたな」と声をかけていただいたことはおぼえている。そんな経験があるからこそ、本書に描かれた「知らないおばさん」の悪妻ぶりは私を混乱させもしたのだ。どこか意外で、どこか納得できるような気もして......。

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