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ママたちの不安を知る、型破りな保育園経営者(2/3)

ニューズウィーク日本版 / 2015年9月10日 16時15分

 結果、そのメッセージが私を救ってくれたのです。掲載後、多くの中国のママが電話や携帯メッセージをくれたほか、1カ月のうちに50通の手紙を受け取りました。みな私と同じような悩みを抱えており、あるママの事情はさらに深刻でした。

 自分の悩みが急に小さくなったように思えました。180度がらりと転換したのに等しく、自分はこの数カ月間何をしていたのか、もっと深刻でもっとつらい人も多いのに、と反省しました。あるママは、子どもの父親が誰かすらわからず、児童福祉の手当も受けられずにいました。でも私の夫は日本人で、少なくとも子どもの医療費、養育費の補助などの心配はありません。私は精神状態がよくなかったので、「足るを知る」ことが全くわかっていなかったのです。まがりなりにも生活上の心配がないのに、毎日死ぬだの生きるだのと余計なことを考えていました。

自宅で託児所、そして初めての保育園運営へ

 そこで私は、何かやろうと決心しました。あるママの場合は1人で子どもを抱え、夜勤もあるのに、夜間託児所が見つかりませんでした。彼女を助けないわけにはいかない。私はママたちにいいました。

「お金はいりません。もし用事があるなら、子守りを手伝いますよ。プロではないし自分の子育てもうまくありませんが、お子さんを1人にするよりいいと思えば、うちに連れてきてください。どうせ子守りをするのだから、構いませんよ」

 ちょうど息子も孤独だったので、仲間を見つけていっしょに遊ぶのもいいと思いました。この数カ月、泣いてばかりいたことで息子に与えた心の痛手が治ることを、私も望みました。

 そうして、わが家に3、4人の子どもが来るようになりました。ある子は昼に、ある子は夜にやってきて、うちの子といっしょに食べたり、入浴したりしました。子守りのスキルは高くありませんが、ほかの子も自分の子と同じように接しました。私自身、彼女たちに感謝の気持ちでいっぱいでした。この子たちが来てからうちの子も明るくなり、以前のように四六時中くっついていることもなくなりました。息子のほうも母親に笑顔が戻ったのを見て、安心したのでしょう。おのずから友だちと遊ぶようになりました。こうしてわが家は、ミニ託児所になったのです。

 でも、ミニ託児所の寿命は長くはありませんでした。半年たったころ、夫が反対し始めたのです。毎日、昼夜を問わず中国人が出入りして、わが家のまともな生活に影響を及ぼしたのはもちろん、近所から白い目で見られてしまったからです。夫は期限を決め、それまでに「子どもたちをもう来させないようにしてくれ」といいました。やむを得ずママたちと相談し、託児ができるのはその月までとなりました。

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