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女性エベレスト隊隊長に学ぶ、究極の準備(後編)

ニューズウィーク日本版 / 2015年10月5日 18時5分

 もちろん、それはエベレスト遠征が実現すると見込んでの話で、すでに財団にはヴァルヴァーノ・コーチへの哀悼の意を込めて登ると伝えてあったから、確実に実現させなければという焦りがあった。そのため、仕事から帰って、郵便物を開封し、何かしらおなかに入れた後は、遠征のスポンサー探しと癌研究のための寄付を募ることに専念した。毎晩何十通も手紙を書き、何百通もeメールを送った。気がついたら真夜中を過ぎていることも多かった。毎朝四時に起きる必要があったので、睡眠をとり、かつ世界最高峰に登頂するトレーニングを積むための時間は、毎晩四時間しか残らなかった。

 でもそのうち、この難題を解決する理想的な方法を思いついた。二四時間営業のフィットネスクラブを見つけ、午前一時ごろに行って目をつぶったままできる心肺強化トレーニングマシンを探した(高負荷のステアマスターとか、高負荷のエアロバイクとか)。ステップを踏んだりペダルを漕いだりしながら、ジムにいる間に睡眠をとり、同時にトレーニングもしているのだと自分に言い聞かせた。太陽が昇る前に脚力を鍛え、心肺機能トレーニングをし、同時に少しレム睡眠が取れれば、「自由時間」をかなり有効に使えると考えた。マルチタスクの達人気取りで浮かれていた。お笑いだ!

 言うまでもなく、結局やるべきことはどちらも(睡眠も適切なトレーニングも)達成できず、十日くらい過ぎたころには疲れ果ててしまった。ストレスも限界を超えていた。慢性的な睡眠不足と極度の疲労で体調がおかしくなっていた。それ以上に、トレーニング方法が非効率的だったので、準備不足のまま登頂に臨むはめになりかねなかった。それは困る。アメリカ初の女性エベレスト遠征隊の隊長として、そんなまねは絶対にできなかった。だからといって仕事が疎かになれば、ゴールドマンをクビになるおそれがあった。それも困る。給与でなんとか毎月の生活費をまかなっている状態で、学生ローンの返済も残っていたから、クビになるわけにはいかなかった。絶対に失業するわけにはいかないから仕事を疎かにはできず、遠征中はみんな私を頼りにするからトレーニングも疎かにはできなかった。

 結局、午前一時のトレーニングは諦めざるを得ないと悟った。どのみち効果も挙がっていなかった。本格的な遠征のための体づくり(あるいは精神づくり)はジムでできるものじゃない。チームメイトはコロラド州やワシントン州のアウトドアでトレーニングしているはずで、私も自分自身のためにもチームメイトのためにも、可能なかぎり万全の体調で臨む責任があった。それを踏まえて、私はトレーニングのやり方をすっかり変えた。平日はゴールドマンでの仕事に専念し、夜はできるだけ睡眠を取るために、起床時間を午前五時三〇分にずらした。仕事が終わった後の夜の時間は資金集めに充てた。そのうえで週末は登山に備えた適切な訓練に励んだ。金曜日は一日じゅうオフィスで仕事をし、土曜日になるとサンフランシスコのアパートメントから車で五時間半から六時間半かけて、カリフォルニア州シスキュー郡のシャスタ山に向かった。

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