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パジャマで出社でもOKのほうが、アイデア満載の会社になる

ニューズウィーク日本版 / 2015年10月27日 6時20分

 それは一番楽しんでいたチームだ。

 しかめつらをし、まゆ根にしわを寄せていたチームがいいアイデアを出したためしはない。逆に、笑いが絶えなかったチームは、たいてい素晴らしい提案を出してきた。

 彼らはいいアイデアを思いついたから楽しそうだったのか。それとも楽しんでいたからいいアイデアを思いついたのか。

 答えはもちろん後者だ。間違いない。

 つまるところ、「楽しんでやった人ほどよい成果をあげる」というのは、何に対しても通用する真理である。アイデアを手に入れることに関しても、同じことだ。

「仕事を楽しもう」と、広告代理店を率いるデービッド・オーグルビーは言う。「作る側がちっとも楽しんでいないときにいい広告が生まれることはまずない」

 オーグルビーの言葉は何も広告業界だけにあてはまるわけではない。アイデアが欲しい人には、誰に対しても同じことが言える。

 広告を作るなんて大して創造力のいる仕事じゃない、広告なんかよりずっと厳粛な仕事にそんな軽い業界の原理をあてはめるなんて意味がない、と思う向きもあるかもしれない。だが、他の分野の人たちも「楽しむ」ことの価値に関しては同じことを言っている。

「まじめくさった人は大した考えをもっていない」と言ったのはフランスの詩人ポール・ヴァレリーだった。「アイデアいっぱいの人は決して深刻にならない」

 確かに、ユーモアとあらゆる創造力とは表裏一体のものだ。さきにケストラーが指摘したように、ユーモアと創造力は共通の基盤の上に立っている。それは、思いもよらなかった方法で異なる要素を結びつけ、意味のある新しい「全体」を作ることであり、道がまっすぐ続くと思っているときに左に急ハンドルを切ることであり、「異縁連想」であり、二つの異なる関係がぶつかることである。

 では、これがユーモアのなかでどう作用しているか、見てみよう。

 テレビ番組で、司会者ジョニー・カーソンは言った。「ナンシー・レーガンが転倒し、髪の毛を骨折しました」

 ウディ・アレンは言った。「どうやって神を信じろというんだ。先週、電動タイプライターのローラーに舌を巻き込まれたばかりなのに」

 どちらのジョークにおいても、前半は当たり前なのだが、後半に思いがけないどんでん返しが待っている。ところが、思いもよらなかった結末なのに、おさまりの悪さはない。二つの異質なものがぶつかり合ってまったく新しい世界が生まれ、笑いを誘っている。

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