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「ウクライナ」を創るプーチン

ニューズウィーク日本版 / 2015年12月28日 11時58分

 キエフの街は天気に恵まれ快適だったが、私はなぜか少し落ち着かなかった。どうやらそれはヨーロッパの首都なら必ずある王宮がないので、街の中心がどこなのかが了解しにくいせいではないかと思い始めた。国王はいなくとも権力者や成金ならいる。昨年の政変でロシアに逃亡したヤヌコヴィッチ前大統領の別荘は今や観光名所になっていて、観光客がやってきていた。広大な敷地内に贅を尽くした建物や庭が配され動物園まであった。だがこれは王宮ではなくそのパロディにすぎない。

 王室や王宮とともに、国家の統一感を確認するありきたりの装置が歴史である。興味深いのが、この国がソ連の一部として生きていた時代の評価である。ウクライナがソ連統治下で苛斂誅求にあい、とりわけスターリンが一九三〇年代にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉を引き起こしたことはよく知られている。第二次世界大戦中のウクライナは、誰もが認める悪玉のヒトラーとかのスターリンとの狭間で生きなくてはならなかった。この時代については、どう評価されているのか。そう思って「大祖国戦争史国立博物館」を訪れると、対独戦におけるウクライナの貢献が強調され、対日戦の勝利についても展示があった。だが私が見た限り、前述の民族主義者バンデラの展示はなかった。ソ連時代の展示がそのまま継承されているのかもしれないが、もしそうならばウクライナはソ連のやったこと、たとえば第二次世界大戦後の東欧での抑圧にも、責任の一端があるということになりはしないだろうか。なにせスターリンの後継者フルシチョフはウクライナ人なのだ。

 この国で継続的な国家の権威は可視化しにくいし、「正しい民族の物語」を語るにはあまりにも多数のウクライナがある。良く悪くもともに生きてきたし、今後もともに生きていくのだから政治的妥協も必要だという感覚がいささか弱いのがこの国の難しさなのではないか。もちろん民族的アイデンティティは、常に再生産の過程にある。マルクス主義なきソ連崩壊後のロシアがナショナリズムへの傾斜を強めると対抗的ナショナリズムがどうしても生ずるし、露骨な介入、紛争、戦死者、避難民は、この先長くこの国に住む人々の共通体験として記憶されそうである。プーチンはウクライナをそうとは知らず創りつつあるのではないか。そのことを象徴するかのように、「大祖国戦争史国立博物館」では、東部で戦死したウクライナ軍兵士たちを記憶する、真新しく入念な展示が一階正面のホールを占めていた。

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