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今では「ガイジン」じゃなく「YOU」と言われる

ニューズウィーク日本版 / 2016年2月22日 17時30分

 でもそれらは、しょせん大した話ではない。厄介なことに、ぼくは自分が日本を離れてから、この国がそれほど変わったとは思えないのだ。初めて住んだときから二〇年以上がたつが、その間に日本に根本的な変化があったかどうか疑問が残る。

 一〇年くらい前、東京でイギリスの新聞の特派員をしていたとき、ぼくは日本の置かれている大きな状況を、いくつかの文章にして頭の中にまとめておこうとした。日本の経済は停滞していて、大規模な公共事業を行わないと成長できず、公的債務は増えつづけている。人口は高齢化が進み、出生率が低い。社会で活躍する女性はまだまだ少ない。政治に新しい時代が訪れたようにみえても、つねに権力は特定の政党に戻っていくようだ。アジアの近隣諸国との関係は良好ではなく、中国に追い越される可能性もある。

 ぼくはこの文章を、実際に書いたときより一〇年前にも書けただろうし、今も書けるだろう。むかし近所を走っていたさおだけ屋の車が、日本の象徴のように思えてくる。「二〇年前と同じ......」

 変化があったように思えても、よくみれば実はそれほどではないことがある。ぼくが初めて日本に来てから、この国に地ビールの伝統が根づいたのはうれしい。けれど今でも東京の居酒屋に出かけたら、一種類のビールしか置いていない確率は九〇%にのぼる(その一種類がアサヒスーパードライである可能性は高い)。

 ぼくはサッカーを愛していて、Jリーグ発足以降の日本サッカーの進歩はすばらしいと思う。それでもサッカーの観客数は、野球に比べるとまだはるかに少ない(同じ二チームが何日にもわたって何度も戦うのに、どうしたらスタジアムを満員にできるのだろう?)。

【参考記事】和と努力とガイジン選手

 ぼくは日本にまったく変化がないと言いたいわけではない。ただ、人々が思うより変化の幅が小さいのだ。東日本大震災のあと、日本の政治は「すべてが変わる」と、みんな口々に言っていた。でもこの文章を書いている時点での首相は、ぼくが日本を離れたときと同じ安倍晋三だ。

 大きな災難に出合うと、人々はものごとが以前と同じままのはずはないと考え、そこからかすかな慰めを得ようとする。災厄には、そこから生まれる変化によって意味が与えられるのだ。しかし残念ながら、つねに変化が起こるとは限らない。

 東京で特派員をしていたころ、ぼくは大きな変化が欲しかった。大きな変化はニュースになる。しかし実際には変化が起きていないから、ぼくは「もしかすると」起こるかもしれないことを予測したり、これから起ころうとしていることを書けと、ときおり言われた。たとえば覚えているのは、日本が核保有に向けて「前進」しているという記事を書けと言われたことだ(ぼくはそんなものは書けないと抵抗したが、ほとんど無駄だった)。二〇〇七年に日本を離れる直前に書いた記事の一本は、日本が憲法九条改正に向けてどう動いているかというものだった。

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