倹約家も浪費家も「老後破算」の恐れあり

ニューズウィーク日本版 / 2016年3月22日 16時54分

 サブタイトルからもわかるとおり、『隠れ貧困――中流以上でも破綻する危ない家計』(荻原博子著、朝日新書)において焦点が当てられているのは、「子どもの貧困」でも「ワーキングプア」でもなく(少なくとも現時点においては)"さほど生活に困っているようには見えない人"の貧困問題だ。

「隠れ貧困」とは、一見すると普通の生活ができているのですが、このままだと将来、貧困に陥る可能性のある「貧困予備軍」のことです。高血圧を放置していると重篤な病気にかかる恐れがあるように、隠れ貧困とは、放置していると「下流老人」に転落しかねない危険なお金の生活習慣病なのです。(3ページ「はじめに 老後破産につながる怖いお金の習慣病」より)

 つまり悲惨さに焦点を当てたドキュメンタリーなどとは違い、経済ジャーナリストとしての立場から冷静に現実を見据えている点が特徴だといえる。

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 貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」があるのだという。前者は、1日1.25米ドル未満で生活しなくてはならず、食べるのにも事欠く貧しさのこと(世界銀行の定義)。片や「相対的貧困」とは、国民の所得分布の中央値の半分に満たない世帯。つまり、その国の「平均的収入の半分以下の人」だ。

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 日本で後者の率が年々上昇していることは知られているが、その一方で注目しておかなければならない問題がある。貧困の広がりとともに、なかなか数字には表れてこない「貧困予備軍」が増えつつあるということだ。

 その根拠は、日本の家庭の約3割が貯蓄できない状況にあるという事実。しかもそれは、「収入が少ないから貯金ができない」ということではない。驚くべきことに年収1000万円以上の家庭の7軒に1軒、1200万円以上でさえ1割以上の家庭が貯蓄できていないのである。

 その一例として紹介されているのは、中堅銀行の係長をしている42歳男性のケースだ。妻と娘、息子との4人家族で年収は800万円。堅実な暮らしをしているにもかかわらず、子どもの教育費と住宅ローンが足を引っぱり、実際に年間で貯金できる額は、下手するとゼロ、多くてせいぜい50万円程度だという。

 大きな要因はふたつあり、まずひとつ目は、給料の手取り額が減っていること。ふたつ目は、経費削減のため会社で使える経費が年々減っていること。決して浪費家ではなく、バブルも知らず、質素な暮らしが当たり前だと考える世代も、そのような現実に直面しているのだ。

 実は、2000年代に入って、家計は毎年のように、増税や社会保険料アップの嵐にさらされ続けています。(中略)年金保険料ひとつ見ても、毎年約1万円ずつ値上がりしていて、この10年で10万円以上値上がりしています。2011年から16歳未満の子どもの扶養控除が廃止になったので、年収800万円の長谷川さんのご家庭の場合、これだけで年間約22万円の負担増になっています。(25~28ページより)

 年金保険料のアップと扶養控除の廃止だけでも、この10年で年間約22万円以上の負担が増えることに。さらに消費税のアップや復興増税まで加えると、年間50万円以上の負担増となる。しかも2016年夏の参議院選の選挙対策で配偶者控除の廃止は先送りになったものの、選挙後に廃止の方向へ進むのは必至。そうなると、さらに10万円の負担増ということになる。

 それに加えて会社の経費が削減されるとなると、たしかに負担の大きさは火を見るより明らかである。そんななか、「住宅ローン」「教育費」「老後費用」という3つのお金のハードルを飛び越えていくことが先決だと著者は提言する。

 さて、以後もこのように現実的な話が展開されていくのであれば、それはそれで納得もできる。しかし読み進めていくと、問題がそれほど単純ではないこともわかってくる。ここから先の記述においては、「隠れ貧困」にこびりついている面倒な問題が明らかにされているからである。

 バブルを知らない世代が、質素な暮らしを続けながら貧困に耐える一方、かつてバブルを経験してきた50歳前後、いわゆる「アラフィフ」の破綻した金銭感覚が悪い影響を及ぼしているという事実である。では、なぜ50歳前後には「貯められない」主婦が多いのか。著者はその答えが、彼女たちの青春時代にあると指摘する。

 今、50歳前後の女性たちが社会人になったのは、バブル真っ盛りの1985年から1990年。ボーナス袋が、1万円札の厚みで立った時代です。高級ホテルが常に満員で、酔っぱらいで溢れ返った銀座では、そこかしこで1万円札を振りながらタクシーを呼ぶ姿が見受けられました。OLが、ランドセルのように30万円以上するヴィトンやシャネルのバッグを持ち、ブランド品を身につけていないと恥ずかしいような空気がありました。(75ページより)

 あいにく恩恵こそ受けなかったものの(受けなくて本当によかった)、あの時代の端の方で、彼らを「気持ち悪いなぁ」と思いながら眺めていた現在53歳の私としては、この考えには大きく納得できる。

 彼らの大半はバブル崩壊とともに、まるで、"もとからそこに存在しなかったかのように"はかなく消えていったが、こちらからすればそれは当然の話だった。逆にいえば残り半分近くは生き残ったわけだけれども、(これは個人的な感覚だが)苦労して育った経験のない彼らには「人と自分を比較したがる」「人の目を異常に氣にする」「壊滅的なくらい打たれ弱い」という致命的な欠陥がある。

 だから、つまり時代が傾いていくなか、かろうじて生き残った人たちの脆さがいまになって露わになり、ガラガラと音を立てて崩れはじめたということも妙に納得できるのだ。

 現在54歳の夫は、一部上場企業の部長職。年収は約850万円。都内にマンションを購入して、ふたりの娘は国立大学と大学院に通う、絵に描いたような4人家族。けれど、ほとんど貯金はなく、表向きの優雅な家庭とは裏腹に、家計はいつ破綻してもおかしくない状況――自分を取り巻く現実が、どんどん過酷になっていく中で、奈緒子さんは、今の自分は、本当の自分ではないと思うことがしばしばあるといいます。(94ページより)

 この女性は50歳だというが、恐ろしいほどの現実感のなさである。夫の給料が下がり続けた結果として母親に泣きつき、ついには母親のお金まで使い尽くしてしまったというが、それこそまさに、バブル世代女性の金銭感覚だ。

 こうして読み進めると、「隠れ貧困」は二重構造になっていることがわかる。教育費、住宅ローン、老後費用の負担に押しつぶされそうになりながらも堅実に生きるポスト・バブル世代、そして、自身の立ち位置すら明確に自覚できないアラフィフ女性である。いわば隠れ貧困は、相反する両者の末期的な状況が複雑に絡み合っているからこそ、実態がつかみにくいといえるのではないだろうか?

 なお本書の後半では「隠れ貧困」対策がQ&A形式で解説されているので、自分のいる場所を明確にするため、そして、そこからどう抜け出すかを考えるために役立つだろう。


『隠れ貧困――中流以上でも破綻する危ない家計』
 荻原博子 著
 朝日新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。


印南敦史(書評家、ライター)

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