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同胞の部屋探しを助ける中国出身の不動産会社社長(前編)

ニューズウィーク日本版 / 2016年4月19日 17時15分

 しばらくしないうちに独立し、絨毯のビジネスを一時期手がけた。のちに取り組んだ不動産業も、ある種の偶然からだった。当時、絨毯ビジネスがうまくいかず、そのほかのこともわからない。それで、どうせなら何か勉強しよう、資格でも取ろうと思った。妻は以前、不動産会社で働いたことがあり、仕事上の必要から不動産業のライセンスを取っていた。

 君が持っているなら僕もなければと、不動産関係の本を何冊か買ってきて、勉強をはじめた。それから本当に合格するとは思わなかったが、ちょっと試してみようと資格試験を受けたところ、1カ月後に合格通知が届いた。こうして私たちは2人とも不動産業のライセンスを持つことになり、筋道に沿って順調に不動産ビジネスをはじめたのだった。

 もちろんこの選択は日本に来たばかりのころ、アパートを探して苦労した経験とも無関係ではない。当時日本語ができなかった私は、アパートを探してあちこちで行き詰まった。そして2つの考えをめぐらせた。第1に、どうしてこんなに部屋を借りるのが難しいのか。第2に、日本でマイホームを持ちたい、ということである。



 不動産業をはじめたころは何もわからず、手探りで川を渡るような状態だった。ただ、幸い当時、新華僑〔中国の改革開放政策の実施以降、海外に出た華僑〕がはじめた不動産会社は、東京ではわが社が第1号、唯一無二の存在だった。それでわが社の名前を「東拓」とした。つまり「東京開拓」という意味だ。会社は北区東十条に設立した。

 オープンしたころは、その光景に誰もが驚き目をむいた。カウンターの前には一列になったお客が座り、その後ろにも多くのお客が列をつくった。部屋の外にも順番を待つ人たちがいて、1組が去れば、また1組がやってきた。時には物件の間取り図を持ったままで、この人に決まらなければ次の人に渡すといった調子で、ビジネスは上々だった。当時は毎日そんな様子で、警察だって自転車で駆けつけてきて、わが社の盛況ぶりを眺めていた。

 みんなが部屋を借りるのに、なぜ「東拓」へ来るか。答えはシンプルだ。彼らは日本語ができないので、日本の不動産会社は彼らに部屋を貸してくれないのだ。

 また、日本の不動産会社は業務範囲が決まっていて、範囲内のことならよくしてくれるが、範囲外のプライベートなことまでは手助けしてくれない。だが、私たちの当時のお客はほとんどが日本語のできない中国人で、部屋を借りる以外にもサポートを求めていた。家主とのやりとりやゴミの捨て方。細かなところでは契約後に客をスーパーへ連れて行き、排水口用ネットを買って、これがなければパイプが詰まると教えてあげた。のちにこうした小さなグッズは常時用意しておき、お客に進呈するようにした。

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