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いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く6 (パーティは史上最高)

ニューズウィーク日本版 / 2016年7月4日 16時50分

 しかし、黒人奴隷が広場に集まって蜂起した歴史を持つ以上、ハイチ国民にとって権力の言うことを聞かないのは伝統なのに違いなかった。それがアナーキーな貧困を産み出し続けているにせよ。

 問わず語りのように、紘子さんは四駆の中で"以前、西アフリカのベナンに2年いた"ことを話し出した。MSFに参加する前に、海外協力隊としてかの地で働いていたのだという。

 「そこでもさっきの、銅像を見たんですよ。当時は歴史があんまりよくわかっていなかったんですけど。だからハイチにミッションで派遣されて、あの人だ!って思いました。縁があるっていうか」

 銅像がかたどっていたのは『ポール校長の授業』でも書いたトゥーサン・ルヴェルチュール、ハイチを独立に導いた人物の姿だった。ではなぜベナンにもそれが建っているのかといえば、かつてそこに存在したダホメ王国がトゥサンの父イポリトの出身地だったからだ、と今はインターネットで調べたから俺にもよくわかる。

 "奴隷海岸"とヨーロッパ人が名付けた地域から、イポリトはハイチに運ばれた。ダホメ王国では首長だったというから、もともと周囲の者への説得力も違っただろう。

 そして息子トゥーサンが生まれ、黒人初の共和国を打ち立てるに至る。
 つまりベナンはそれを誇っているわけだ。

 偉大なる革命を起こしたのは、我らの大地から奪われて行った一滴の血なのだ、と。
 そして書き手の俺と読み手の貴方は今、その血が造り出した国家の、長い苦難の一端を目の前にしている。



仮眠の中で考える

 車がチカイヌで紘子さんとダーンを降ろすと、そこで2台の四駆にそれぞれ乗り換えてリシャーはコーディネーション・オフィスへ、谷口さんと俺は山の宿舎(今さらだが、モン・ラカイという場所にあった。ラカイ山ということだろう)へ向かった。各々昼食をとるためだった。

 前日のポールの話からすると、俺たちが冷蔵庫から取り出した幾つかのグラタンや野菜の煮込みやサラダは、特別にまかないの女性たちが作ってくれたものかもしれなかった。自分の食べる分だけ取ってレンジで温め、コーヒーをエスプレッソマシンで作って飲んだ。

 招かれたパーティーまでには数時間あり、俺は部屋の四角いベッドで仮眠をとった。浅い夢のようなものの中で、俺は他人のためになろうとする人たちのことを考えていた。そういう人がなぜか"偽善者"などと呼ばれるのは、一体どういうことなのかと。

 自分もたまたま、解放される前のアウン・サン・スーチーさんを支援する運動に参加していたことがあった。その時、俺としては実につまらない中傷に出会った。

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