いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く6 (パーティは史上最高)
ニューズウィーク日本版 / 2016年7月4日 16時50分
「初めてなんですよ」
俺は驚いて黙った。
「これが生まれて初めてなんです」
カールはまるで自分に孫が出来たかのような初々しい喜びをあらわしてさらに言った。
「私はエンジニアとして、ドイツの中でたくさんの仕事をして来ました。あっちの会社、こっちの会社とね」
「あ、お医者さんでなく?」
「そう。技術屋です。それで六十才を超える頃から、ずっとMSFに参加したかった。そろそろ誰かの役に立つ頃だと思ったんですよ。そして時が満ちた。私はここにいる」
たったそれだけのことを聞く間に、俺の心は震え出してしまっており、とどめようがなかった。暗がりなのをいいことに、俺はカールに顔を向けたまま涙を流してしまっているのだった。
気づかれないように、俺は声を整えた。まさか泣いているなんて知ったら、カールが驚いて悪いことをしたと感じてしまうに違いなかったから。それは俺の本意じゃない。
「ご家族は、反対、しませんでしたか?」
「私の家族?」
いたずらっぽくカールは片言の英語で言った。反対を押し切ったのだろうと俺は思ったが、答えは違った。
「彼らは応援してくれています。妻とは、毎晩スカイプで話しますしね。いつでもとってもいいアドバイスをくれるんです。子供たちもそうです。私を誇りにしてくれている」
カールはどうしても俺を感動させたいらしかった。いやいや、とんでもない。彼にはまったくそのつもりはなく、だからこそ俺の心の震えは収まらないのだった。
そして追い打ちが来た。
「それにね、セイコー。私はここにいる人たちと知り合えました。64才になって、こんなに素敵な家族がいっぺんに出来たんです」
俺はうなずくのが精いっぱいで、何かを考えるふりをしてカールから屋上の隅へと目をそらした。頬まで流れてきてしまったやつを、俺は手で顔をいじるふりで何度もふいた。
カールが生きているのは、なんて素晴らしい人生なんだろう。
俺は彼の新しい家族を改めて涙目で見渡してみた。すっかり暗いというのに、連中はまだ熱心に医療についてしゃべっていた。
これは俺が経験した中で最高のパーティーだ、と思った。
これ以上のやつは以後も絶対ないに決まってる。
ふと気づくと、片づけの始まったグリルから知らぬ間にカールが鶏肉のスティックを持ってきてくれていて、それが目の前の皿に置かれてあった。
腹は満ちていたが、俺はスティックをつまんで肉にかじりついた。
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