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いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)

ニューズウィーク日本版 / 2016年7月26日 16時40分

 しばらく俺も動けずにそこにいると、やがてダイニングへの外からの入り口あたりにフェリーが立っていて、英語でこう言った。

「それについては私が答えよう」

 思わず振り向くようにすると、フェリーは目の前の椅子の背に両手をつき、ウルリケを見ていた。厳しい顔つきをしていた。
「我々は医療とは何か、その倫理を曲げずにいるしかない。いかなる困難があっても、相手を説得し続けるしかないんだ」

 フェリーはまるでアメリカの医療ドラマのチームリーダーのようにそう言い、ほんの少しだけ微笑んだ。ウルリケが何かフランス語で言い、フェリーはそこからフランス語になってしまった。



 あとから聞くと、どうやらウルリケは初ミッションで、現地スタッフとどう折り合っていくかに問題を感じていた。これは紘子さんからも再三聞いていたことなのだが、奴隷革命をなし遂げたハイチの人々のプライドは大変高く、これがいいと思い込んだら新しい手法を受け入れてくれにくくなることもあるそうだった。どう自ら変えようと思ってもらうか、そこが難しい。

 ウルリケはウルリケで、他のスタッフとどうチームを組んでいくか迷っているのかもしれなかった。妥協はしたくないだろうが、それなしではチームワークも働かないのだとしたら。いや、問題が他の何事であったにせよ、フェリーは各活動地で出来る最善の医療を提供するという根幹を頑固に貫けと、あえて非医療従事者として言ったのだった。

 その医の倫理をもって、彼らは職種が違っていてもひとつにつながっているのだから。

 英語でフェリーが話し出したことには、その意味をダイニングにいた全員がもれなく確認するべきだという判断があったに違いない。

(鉄条網で守られている宿舎にて)

 たいして休む間もなく、CRUO(産科救急センター)のメンバーはまた病院に行くことになった。しかも、近いから歩くのだという。そこは滞在初日に唯一、昼間なら歩いてもいい道だった。

 体格のいいフェリー隊長を先頭に、アナ、オルモデ、空飛ぶ電気技師インゴが外に出た。ウルリケたちはあとから来ることになっていた。いざ歩き出すと、いかに両側がガレキだらけかわかった。たまに現地の子供や青年が日陰に座っていたりして、それはどこかのんびりした光景でもあり、またいつ彼らが石などを投げてきても仕方がないようにも思った。

 戦地のつかの間の安定の中を行く気がした。実際、イタリア人のルカはノートパソコンを持っているからという理由で一団に加われず(その命令もフェリーのジョークだったのだろうか)、鉄扉の中で待たされ、ウルリケらと一緒に四駆に乗って俺たちを追い越していった。決して手放しで安全なわけではないのだった。

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