いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)
ニューズウィーク日本版 / 2016年7月26日 16時40分
(緊張の中を歩く)
歩いている集団にもどこか緊張があるように感じると、すたすた先を歩いていってしまうフェリーへの依存心が増した。隊長と共にいればより安全なのだと確信した。しかし谷口さんを後方に置き去りというのもはばかられた。女性の足だとどうしても遅れる。
俺は自分の命を自分で守るべきか、仲間と共にあるべきか究極の選択に迫られていた。額から汗がじわじわ出た。なぜフェリー隊長の足はあんなに早いのか、一方なぜ谷口さんは遅いんだ......。谷口さんは他のスタッフに話しかけられ、答えながら移動していた。
結果わずか5分くらいの歩行で終わってよかったと思う。わりと中途半端で臆病な位置取りのままで、俺は産科救急センターに着いた。
穏やかな時間
女性院長ロドニーがまた俺たちを案内してくれた。リシャーもぴったりついてクレオール語を英語に訳してくれた。フェリーも折々、様子を見に来てくれた。
おかげで俺たちはあらゆる部屋に入ることが出来た。薬品の仕分けをするための少しだけ冷房の効いた部屋や、廊下に貼られた3月8日『女性の日』のポスターに出ている"ハイチ女性の権利向上に尽力した元女性大統領"、薬剤を運んできている職員のTシャツの背中に印刷された日本語「オレ最強」など、しまいには特に見ないでいいものまで見た。
(これを撮ったら振り向いて思い切りにらまれた。今回の取材で最も危険な瞬間だった)
やがて、産後室に俺たちは戻り、写真を撮った母親たちに同意書へのサインをしてもらうのを待った。もちろんMSFでの公式の使用に同意してくれるかどうかを聞くのはリシャーだった。
部屋には何人も母親がいて、赤ん坊がいた。壁にはかわいい動物の飾りなどが貼られていた。保育器の中にいる乳児もいた。その一人は生まれて四ヶ月経っても親があらわれないあいつだった。
例の、ふくれあがる筋肉を申し訳なさそうに縮める姿勢で、リシャーは母親たちに用紙を差し出した。きわめて小さな声でリシャーは何かしゃべった。俺はそれを遠くの丸椅子に座って眺めていた。部屋に女性看護士は二人いた。さらに助手らしき女性も一人いた。みな静かだった。
窓の外から日は強く差し、木の葉と一緒に揺れていた。その木漏れ日の中に一人の若い母親がいて、ワンピース姿で右を下にして寝ていた。子供はその腹のあたりにいて動かなかった。小さな子供だった。母も子も眠りが深いようだった。彼らが幸せかどうかは俺などが決められることではないが、少なくともそうして眠っている間は穏やかだと思った。
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